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〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜

No.042 粋なる哉、船場文化ここにあり!

〜証券街・北浜と日本最大の薬問屋・道修町〜

大阪あそ歩 OSAKA ASOBO No.070

 

東京・兜町とならぶ二大証券街の北浜と、日本の医薬業のメッカ・道修町を散策します。船場の旦那衆の、粋な仕事ぶりをとくとご覧ください。

東京サミットの晩餐を3度も務めた本吉兆、大阪会議の舞台となった花外楼など、船場が誇る二大料亭も巡ります。

  

     

京阪電車「北浜」からスタートです。

   

@ 大阪証券取引所(五代友厚公銅像)

東京・兜町、名古屋・伊勢町とともに日本の三大証券取引所のひとつ。五代友厚らが発起人になった大阪株式取引所が前身です。

正面玄関前の銅像・五代友厚は薩摩出身で、大阪株式取引所の設立や大阪商法会議所(現大阪商工会議所)の初代会頭として、明治維新で落ち込んでいた大阪経済の復興に寄与した人物です。

   

A 大阪金相場会所跡

江戸時代に貨幣として流通していた金、銀、銭を交換する会所の跡地です。はじめは高麗橋付近にありましたが、のちにこの地に移り、明治維新後に銀目取引廃止にともない閉鎖されました。

   

B 花外楼(大阪会議開催の地)

天保年間(18301844)創業の老舗料亭。明治8(1875)1月、明治新政府の方針をめぐって政治が混迷を極めましたが、大久保利通は伊藤博文・井上馨らとともに、政局安定のために、下野していた木戸孝允や板垣退助を引き入れようと大阪で会合しました。会議は1カ月にも及びましたが、211日にようやく妥協が成立。その場所が木戸孝允の常宿「加賀伊」で、成功を祝して孝允が「花外楼」と改名しました。その直筆の扁額が2階ロビーにあります。

 

C 開平小学校

明治5(1872)に山片蟠桃の子孫が邸宅の土地、家屋を寄進して設立したのが愛日小学校ですが、同じころ東船場には6つの小学校がありました。それが3(のちの集英・汎愛・浪華)に合併され、昭和22(1947)には集英小学校に統合。この愛日と集英の2校が、生徒数の減少に伴って平成2(1990)に合併してできたのが開平小学校です。

 

D 十兵衛横町・今橋

今橋は大坂の陣の絵図にも記載されています。江戸時代初期にはこのあたりまで川浜が迫っていましたが、中期には西側に両替商が並び、金融街となりました。通りをはさんで天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の両替商の店が向かい合い、「天五に平五、十兵衛横町」と呼ばれて大いに賑わいました。

 

E 高麗橋・里程元標

大坂城築城時に、外堀として東横堀川を改修したさいに架けられたとされています。橋名の由来は朝鮮の使者を迎える橋であったとか、近くに難波高麗館があったためという説があります。大坂城と船場を結ぶ交通の要所として、12の公儀橋の中でも最も格式が高く、西詰めには御触書を掲げる高札場、東詰めには諸国への距離をはかる里程元標がありました。

高麗橋通りには両替商や呉服商が並び、大坂の商業の中心地として繁栄して、明治3(1870)には本木昌造設計で、大阪初の鉄橋が架けられています。

 

F 高麗橋野村ビルディング

昭和2(1927)に安井武雄の設計で建てられた代表的なモダニズム建築で、安井氏設計のビルとしては最古のものです。向かいには昭和11(1936)に建てられた典型的な古典主義建築の三井住友銀行大阪中央支店もあります。周辺には国の有形文化財の新井ビル、伏見ビル、生駒ビルヂングなどがあって、近代建築ビルの宝庫となっています。

  

G 小西家住宅

明治36(1903)建築で国の重要文化財に指定されています。安政3(1856)に初代・小西儀助が薬種業を創業しました。現在はコニシ株式会社の社屋となっています。

  

H 少彦名神社(神農さん)・くすりの道修町資料館

日本の薬祖神・少彦名命と、中国の医薬の神様・神農氏を祀ります。道修町の薬種問屋が疫病除薬として虎の頭の骨を配合した丸薬をつくって無料配布したので、張子の虎がお守りになっています。

くすりの道修町資料館(開館時間:10時〜16時 入館料:無料、休館日:日祝ほか問合せ:06-6231-6958)は日本一の薬問屋の集積地・道修町の歴史や江戸時代の調薬器具の展示などがあります。また神社入口には道修町を舞台にした谷崎潤一郎の「春琴抄」の記念碑があります。

  

I 三休橋筋

御堂筋と堺筋の中間で南北に走っているのが三休橋筋です。船場の面影を残すレトロ建物も多く見られ、近年は電柱の地中化と、街灯のガス灯化が進められています。また北に栴檀木橋があることから栴檀木筋ともいわれます。

  

J 本吉兆(高麗橋吉兆)

日本料理を代表する吉兆の創業者・湯木貞一の直系の高級料亭です。高麗橋吉兆とも呼ばれます。船場の旦那衆や画家、美術家の顧客が多く、いまも大阪の代表的な料亭として企業の接待などに利用されています。

過去に我が国で開催された主要国サミットでは、日本を代表して各国首脳に日本料理を提供してきました。近くには貞一や歴代の当主が集めた什器を展示する湯木美術館もあります。

  

 

御堂筋線「淀屋橋」から帰りました。

 

 

【今日のアクティビティデータ】  歩数:10,779歩 距離:8.1km 移動階数:6階 

 

※この記事のマーカー「」以降は、ガイドマップからの転載です。

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