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〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜

No.040 現在進行形! クリエイティブ扇町

〜扇町メディアの変遷を辿りながら〜

大阪あそ歩 OSAKA ASOBO No.108

 

かつてはのどかな農村地帯だった扇町界隈。しかし明治維新以降、梅田駅の開発とともに一気に都市化が進み、現在は新聞社やテレビ局が集積するメディアのまちとなっています。

北の天神社として崇められた綱敷さんや淀殿の墓所である太融寺、天満堀川跡などを廻って、扇町の開発の歴史に迫ります。

  

JR「天満」駅からスタートです。

   

@ JR天満駅

明治28(1895)、私鉄の大阪鉄道の駅として開業。明治40(1907)に国有化され、国鉄の駅となり、昭和36(1961)に大阪環状線に編入。昭和62(1987)、国鉄民営化でJRの駅となりました。近くには大阪天満宮があり、駅名はそこからきています。

また日本一長い天神橋筋商店街や、日本の格闘技ブームの火付け役となったK-1で有名な空手道場「正道会館」、西日本最大級のストリップ劇場の東洋ショー劇場などがあります。2008年の調査では1日あたりの乗車人員は約22,000人です。

   

A エキマエヤ

駅前にあるから「エキマエヤ」というストレートなネーミングの靴屋ですが、天神橋筋商店街の常連客なら知らない人はいないといわれています。小さな店舗で、どこに倉庫があるのか?と首を傾げますが、実はビルの23階が倉庫になっています。靴の受け渡し方がユニークで、1階の店員がインターホンから、お客さんの所望する靴を伝えると、23階にいるオーナーが長年の記憶であっというまに探し出し、階段から「投げて」下でキャッチします。一連の流れは実に見事なもので、必見です。

探したけど見つからない…

このあたりなんだけどなぁ・・・

エキマエヤシューズは閉店したそうです。

   

B 関西テレビ放送株式会社

昭和33(1958)、京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)、産業経済新聞社、京都新聞社、京都放送、神戸新聞社、神戸放送(:ラジオ関西)などが出資して、関西テレビ放送を設立。かつては大阪市北区西天満6丁目にありましたが、平成9(1997)に扇町キッズパークへ移転しました。

扇町キッズパークは大阪市の土地信託事業で建設された複合文化施設で、中には子供向けの科学館「キッズプラザ大阪」があります。

 

C 扇町公園(堀川監獄と大阪プール)

明治15(1882)、当地に堀川監獄(大阪監獄署)が造られました。しかし梅田界隈の開発などによって、付近が市街地化されたので、大正9(1920)に堺市に監獄を移転(現・大阪刑務所)。その跡地を公園として整備しました。その後、昭和25(1950)に日米対抗水上競技大会が大阪で行われるのに際して、大阪プールを建設。巨大な円形アーチ型の観客席で、「最も観客収容数の多いプール」としてギネスブックに掲載されたこともあります。

水泳以外にもプロレスなどの各種スポーツイベントにも使用され、昭和32(1957)1013日に行われたNWA世界ヘビー級選手権試合の「力道山VSルー・テーズ」の名勝負は今でも語り草です。しかし施設老朽化によって平成9(1997)、大阪プールは港区八幡屋公園に移転しました。

 

D 扇町教会

明治43(1910)創立。設立当初は大阪同胞教会と呼ばれていて、その名残として教会内に扇町同胞幼稚園があります。100年以上の歴史を誇るプロテスタントの教会です。

 

E 綱敷天神社

別名「喜多埜天神」と呼ばれて、梅田の氏神さまとして慕われています。社伝によれば左大臣・源融(822895)が父・嵯峨天皇の追悼のために、かつて行幸した兎餓野の地に神野太神宮を祀ったのが神社のはじまりといいます。

その後、菅原道真(845903)が大宰府左遷のさいに当地で1本の美しい紅梅が咲いているのを見つけ、その観賞のために船の艫綱を丸く敷いて即席の円座としたことから「綱敷天神社」と呼ばれるようになりました。このとき地元の漁民が「ゆりわ」という器に団子を載せて道真公に薦めると、道真公は大層、喜んだので、いまも神事の折には「ゆりわ」と団子をお供えしています。また道真公は当地で、臣下の度會春茂に白江の名を与えて別れ、この春茂の子孫の白江家は現在に至るまで、綱敷天神社の神職として仕えています。

従軍紀念碑

筆塚

 

F 太融寺

真言宗(高野山真言宗準別格本山)の寺院です。弘仁12(821)に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が創建しました。ご本尊の千手観世音菩薩は嵯峨天皇の念持仏ともいわれています。源融(みなもとのとおる)が八町四面を画して七堂伽藍を建立して、浪華の名刹として、数多くの参詣者で賑わうようになりました。江戸時代には堂前に藤の棚の茶店があって、花の頃は華麗で、多くの人で賑わった浪花名所で、『浪花百景』にも収録されています。

太融寺は近松門左衛門の名作『曽根崎心中』の「観音廻り」にも「一番に天満の。大融寺。此の御寺の。名もふりし昔の人も。気のとほるの。大臣の君が。塩釜の浦を。都に堀江こぐ。潮汲み舟の跡絶えず。今も弘誓の艪拍子に・・・」(一番は天満の太融寺。このお寺の由緒は古く、有名な源融大臣の寺だ。大臣は塩釜の浦の風景を都に移そうとして大坂の堀江から塩水を運ばせたが、いまも大坂の地には舟が絶えない。仏が衆生を救うという誓いの舟のような調子が響き渡っている)と記されて登場します。

「大坂三十三ヶ所観音廻り」は、太融寺から御霊神社まで廻れば、西国三十三ヶ所廻りと同じ御利益があるとして大坂庶民の間で大流行しました。

 

 

16155月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の墓

このおばちゃんが被写体から外れるのを待って、境内を回りながら待っていたけど・・・ずーっと居た

  

G 龍王大神

1本の大きな銀杏の下にあります。この辺りは、かつて太融寺の境内でした。道路建設のために邪魔になり、切り倒そうとしたところ、関係者に異変事が続出したので中止となりました。現在でも、斧を入れた傷跡が23箇所、確認できるそうです。

  

H 大阪プール跡(扇町公園)

ここに、かつて大阪プールがあったという証拠に、当時、使われていたコースの飛び込み台がオブジェとして残っています。

  

 

JR「天満」駅付近のスタンドバーで、ちょっとだけ飲んで帰りましたとさ

 

【今日のアクティビティデータ】  歩数:13,600歩 距離:9.8km 移動階数:4階 

 

※この記事のマーカー「」以降は、ガイドマップからの転載です。

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