〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜 No.031 船場のレッドカーペット・三休橋筋 〜変わりゆくプロムナードのいまを歩く〜 |
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■三休橋筋は中央公会堂前の栴檀木橋から長堀通までの約2km、御堂筋と堺筋のちょうど真ん中を南北に通る、「船場の背骨」と言える道です。 ■周辺には近代建築や昔のたたずまいを見せる旧家が残り、金融の今橋、薬の道修町などの特徴的なまちが連なっており、大阪の歴史の断面を感じることができます。 また適度な道幅と緑豊かな街路樹が、大阪の都心とは思えない心地よい空間を生み出しています。 ■最近ではプロムナード整備が進められ、地域の人たちによる組織も立ち上がり魅力アップを目指した様々な活動も生まれています。 そんな変わりゆく三休橋筋のいまを感じてください。 |
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■三休橋筋の名前の由来 三休橋筋の名前は長堀川に架けられていた三休橋に由来しています。 船場と島之内を結ぶ長堀橋、中橋、心斎橋の3つの橋の通行量を減らすことから「三休橋」と名付けられたといわれています。 多くの橋が鉄橋に架け替えられる中、三休橋だけは昭和32年(1962)に長堀川の埋め立てで撤去されるまで木製橋だったそうです。 |
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■大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋」からスタートです。 |
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■毎度おなじみの淀屋橋です。 大阪には「はし」は無い、みんな「ばし」だから…と言うけど、表記は「よどやはし」 |
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■市役所横ストリート・・・って言うのかな? |
■大阪府立中之島図書館 |
■緑の賛歌/本郷新 札幌の大通り公園にある三人の女性が手をあげている彫像と同じ作者だそうです。 |
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@ 中央公会堂 ■建物の東正面から屋根の上を見ると子供の像が見える。これは商業の神メルキュールと科学・工芸の神ミネルバといい、1.7mもの高さがある。商工業が栄え、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた建設当時(大正7年・1918)の大阪の想いが伝わってくる。 |
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■中央の屋根の上です |
■普段は使わないデジタルズーム(やっぱり画質悪し) |
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A 栴檀木橋(せんだんのきばし) |
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■江戸時代初期に、豪商の蔵や屋敷が建ち並ぶ北浜と、諸藩の蔵屋敷のある中之島との連絡のために架けられた。洪水などで何度か架け替えられており、現在のものは昭和60年(1985)竣工。この橋詰めに栴檀の木の大木があったことが名前の由来。 |
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B 吉田理容所 ■昭和5年(1930)に開業した老舗の理髪店。2代目店主の吉田金吾さんは、「開業当時の三休橋筋は木造の家が並び、牛車も通っていたという話を父から聞いた」「昔からお店の場所は“土佐堀通三休橋筋南下ル”と説明しているんです」と語る。お店には開業当時そのままのドイツ製の鏡が並ぶ。 |
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C 適塾 ■蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。福沢諭吉、大村益次郎など多くの逸材を輩出。昭和39年(1964)、建物が国の重要文化財に指定。現在、大阪大学が管理している。 |
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D 愛珠(あいしゅ)幼稚園 ■明治13年(1880)に船場北部の連合町会が創設、同2 2 年(1889)に大阪市に移管された市立幼稚園。現在の園舎は明治34年(1901)竣工。通常の学校建築ではみられない御殿風といわれる建築は極めて質の高いものであり、その堂々たる姿は創設者である船場商人の子弟教育にかける心意気を伝えている。 |
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E 八木通商ビル ■テラコッタタイルが美しいビル。出入口の回りにはメアンダー模様の縁取りが、また窓回りにはアラベスク模様が使われている。タイルの白さが印象的だが、東京駅で有名な辰野金吾の設計で、建設時(大正7年・1918)は赤レンガのビルだった。国枝博によって昭和4年(1929)に改修。 |
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F 旧大中証券ビル ■赤いレンガに白い石、銅板葺きの屋根のコントラストが美しい。このビルは明治45年(1912)に生命保険会社のオフィスとして建てられたが、その後証券会社、レストラン、結婚式場と、形を変えながら使い続けられている。 |
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G 浪花教会 ■ポインテッドアーチの窓をよく見てみよう。ステンドグラスが設けられ、パイプオルガンが設けられた礼拝堂の中に、柔らかな光が降り注ぐようになっている。日曜日は平日とは打って変わって静かなひととき。朝の礼拝に参加すると、この教会のすばらしさを堪能できる。 |
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H 船場ビルディング ■このビルは三休橋筋拡張(大正14年・1925)を機に建てられた。地下と1階がメゾネットの事務所兼住宅で、荷車の出入りのために、床に木レンガが敷かれたそうだ。このビルの魅力は、1階のパティオ風中庭。吹き抜けの両側には、デザイン事務所などが面する廊下が設けられている。 |
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■入ってビックリポン 外見からは想像できません |
■ゆったりと時間が流れているような雰囲気でした |
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I ガス燈 ■平成19年(2007)6月7日は三休橋筋の記念日だ。この日、大阪市が進める三休橋筋プロムナード整備の第1工区完成式典として、大勢の人たちが見守る中「ガス燈」に灯りがともされた。このガス燈は地元企業などから寄贈され、世界的プロダクトデザイナーの喜多俊之氏がデザインを担当している。 |
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J 船場センタービル ■中央大通りの真ん中に建つこのビルを見上げると、ビル全体で高速道路を支えていることが分かる。地下には地下鉄が通り、まるで子供の頃見た未来都市の挿絵のようだ。万博に間に合わせるため、唐物町を潰して昭和45年(1970)に完成。法律上は、道路の真ん中に建物が建っている。 |
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K 丸紅 ■ビルの西側に、馬に乗った子供に男女が左右から手をさしのべるレリーフが設置されている。これは彫刻家古賀忠雄氏による「生まれ出づる喜び」。丸紅旧本館ビルの壁面に設けられたものを、新ビルへの建て替えの際、壁ごと切り取って敷地の一角に保存された。 |
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L 綿業会館 ■三休橋筋のランドマークであり、かつての繊維のまち大阪を象徴するビルが、日本綿業倶楽部の建物であるこの「綿業会館」(昭和6年竣工、平成15年重要文化財に指定)。設計は日本近代建築の先駆者的役割を果たした建築家渡辺節で、若き日の村野藤吾も設計にかかわっている。外観はアメリカンボザールと呼ばれる様式だが、内部は世界各国からのお客さんや利用する会員さんの好みで部屋を選んでもらえるように、さまざまなデザイン様式が採用されている。また設備面でも当時から井戸水による冷房をおこなうなど、先進的な技術が採用されている。竣工当時から各国の要人が来館し、国際会議の場としても利用されている。開館早々には、リットン調査団(英・米・仏などからなる国際連盟満州事変調査団)も来館している。(会員制倶楽部のため入館できません) |
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■三休橋筋プロムナード整備 大阪市建設局によって、歩道拡幅と電線地中化工事が進められている。特徴的なのは、地元意見交換会が開かれ、そこで舗装の仕様や街路樹の樹種が決められていることだ。沿道のレトロなビル、オシャレなお店、そしてプロムナードとガス燈のベストマッチで、三休橋筋は大阪で一番の「歩きたい道」になるだろう。 |
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■大阪市営地下中央線「堺筋本町」から帰りました。 |
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■三休橋筋の立役者達 −京阪地下通路の三休橋筋パネル展示− つい数年前まで、三休橋筋は地元の人かタクシーの運転手さんぐらいしか知らない、埋もれた通りだった。その通りが大きく変り始めたのは、三休橋筋の魅力に気づいた数名の人たちが出会い、まちの魅力と夢を語るようになったから。そのネットワークが拡がり、大阪市のプロムナード整備がスタートし、ガス燈が寄付され、新しいお店ができ、まちが大きく変化し始めた。京阪北浜駅から西に延びる地下通路には、三休橋筋に関わっている人たちが紹介されている。どんな人たちか、一度、見てみては? ■・・・と書いてあるので・・・後日、見に行きました。 |
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★ 【今日のアクティビティデータ】 歩数:11,082歩 距離:7.5km 移動階数:6階
※この記事のマーカー「■」以降は、ガイドマップからの転載です。 |
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