〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜 No.022 神武天皇も通った東成 〜シルクロード(暗越奈良街道)と新道ロード〜 |
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■神武天皇も通ったという神路(かみじ)や今里界隈を歩いてみると、あちこちに由緒ある昔の史跡などが残されているのがわかります。私たちの祖先が残してくれた、記紀神話の時代から続く貴重な遺産の数々を訪ねてみましょう。 |
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■大阪市営地下鉄千日前線「今里」からスタートです。 |
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@ 今里ロータリー |
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■このあたりは大正時代までは東成郡と呼ばれていて、大正14年(1925)、大阪市に編入されました。そのひとつとして今里ロータリーが昭和9年(1934)に完成しました。地域のお年寄りのお話では、ロータリーには中に木柵があり、公園としてよく遊んだとのことです。当時は信号もなく、車は円を描くように流れていましたが、昭和30年(1955)に信号がつけられ、ロータリーではなくなりました。 |
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A 暗越奈良街道「シルクロードの終わるところ」 ■暗越奈良街道は、古くから大阪と奈良を結ぶ最短の道でした。生駒山を越える際に、樹木が茂って昼でも暗い「くらがり峠」を越えることから、この名前がついたそうです。 |
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■この街道は江戸時代にお伊勢参りに利用された道で、東海道のような関所もなく、一日に7〜8万人もの人が通る賑やかな街道でした。現在でも毎年12月28日には玉造稲荷神社を出発する伊勢参りの会があります。 |
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B 謎のコンドル ■今里西之口公園にあるコンドル(石のレリーフ)は、セメントで形を作られています。地元のお年寄りのお話では、昭和10年(1935)ごろからこの付近にあったようです。ある百貨店にかかげてあったという説や、ワイン工場にあったレリーフであったという説などがあります。 |
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■いろいろと調べてみると、「このレリーフのデザインは戦前の大軌鉄道のマークであり、百貨店に掲げてあったという説が有力である。何かの御縁でこの地に鎮座、少しくたびれている謎のコンドルである。」 だそうです。 やっぱり謎のコンドルでした。 |
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C 古いまちなみが残る街道筋 ■この辺りは、暗越奈良街道らしい古い町なみが一部残っています。昔は街道沿いに多くの店があったようで、臼がおいてある家では、餅を街道で売っていたといいます。しょう油や豆腐屋など、生活に密着するお店が多かったようです。 |
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D 妙法寺 ■妙法寺は江戸時代の国学者で有名な契沖(1640〜1701)が10年間住職を務めたお寺です。契沖は妙法寺で『万葉代匠記』という『万葉集』の注釈書を書き、その功績が認められて、水戸光圀から香炉が贈られました。 |
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■水戸家の三つ葉葵の紋が入ったものは珍しく、以前は本堂の線香立てとして使用されていました。また、妙法寺は七福神の一人、開運出世の神・大黒天さんがまつられていることで有名で、妙法寺の大黒天を信仰する人は、皆ことごとく繁盛すると評判になり、「南にては今宮のえびす、東にては今里の大黒」といわれたほどでした。 |
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■熊野大神宮 「妙法寺」の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれた。明治維新後の神仏分離で現社名に改めたそうです。。 |
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■厳島弁財天 |
■白龍権現・天龍権現 |
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E 火袋式道標( 笠とうろう) ■この道標は、以前は千日前通(産業道路)南側にありました。珍しい火袋式で、中にろうそくを灯し、夜間の通行を助けたものです。江戸時代、夜間は旅をしませんから、物資の夜間運搬用にとうろう型にしたようです。設置したのは「江戸積の釘問屋」と道標に表示されています。 |
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F 旧三井被服釦(レトロ建築) ■笠とうろう付近から見えるレトロな建物が旧三井被服釦(ぼたん)です。今里周辺は明治中頃から大正時代にかけてボタン製造業に携わる事業者が30軒ほどあって、東成で最も大きなボタン会社でした。 |
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G 千日前通(産業道路) ■千日前通沿いには現在でも機械・金属関係の会社がたくさんありますが、これは戦前に砲兵工廠があったからです。そのためか、地元の人には産業道路とも呼ばれています。 |
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■今里大橋 |
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H 神路・神路小学校 ■神路小学校は現存する中では東成区で一番古い小学校です。創立当時は阪東小学校(大阪の東にあるから)といい、現在の笠とうろう付近にあったのですが、大正9年(1920)に、コロでごろごろと現在地に移されました。神路という地名は、初代天皇の神武天皇が暗越奈良街道を通って東征した…との言い伝えから名づけられました。 |
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I 夢ふれあいギャラリー ■平野川分水路の堤防沿いにある青空ギャラリーです。以前はコンクリートの壁面で汚れていましたが堤防を掃除して、区民から東成区の夢・将来の絵を募集して平成16年度に完成しました。子どもたちが描く将来の東成区の姿を見ることができます。 |
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J 新道橋 ■平野川分水路は、戦後に何度も浸水したので、護岸大改修が行われて現在の姿になりました。昭和61年(1986)完成の新道橋は、橋の欄干と椅子が一体に整備されている日本でも珍しい橋です。お年寄りの方たちにも利用していただけるようにとの思いで、ゆったりとした空間を確保するために橋が拡幅されました。椅子は暖かい感触のある信楽焼で作られています。 |
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K 東成新道ロード商店街 ■新道というのは、暗越奈良街道の「旧道」と対比して名づけられたものです。東成区で一番長い商店街で、布施まで続けば日本一かも? 昭和初期から続く商店街で、看板やのれん、店構えがいかにも昭和レトロの風情がたっぷりで、こだわりのお店がいっぱいあります。まち歩きの最後は、東成新道ロード商店街でお買い物を楽しみましょう! |
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■大阪市営地下鉄四つ橋線「肥後橋」から帰りました。 |
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★ 【今日のアクティビティデータ】 歩数:9,885歩 距離:8.6km 移動階数:8階
※この記事のマーカー「■」以降は、ガイドマップからの転載です。 |
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