〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜 No.021 おどろきの鶴橋今昔ばなし 〜経営の神様・松下幸之助起業の地をたずねて〜 |
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■古代朝鮮半島との交流を伝える比賣許曽神社から、経営の神様・松下幸之助が起業した「世界のパナソニック」発祥の地、上方落語の縁まで。 ■路地裏を曲がれば、一体、なにが飛び出すのかわからない、バラエティ豊かな鶴橋ワールドを巡ります。ディープ大阪の下町文化ここにあり! |
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■JR環状線「鶴橋」からスタートです。 |
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■鶴橋って電車を降りたら独特の匂いがしますね。ニンニク・焼肉・キムチ・野生動物…? なんだかそんな匂い。 |
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@ 鶴橋国際マーケット |
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■鶴橋地区では空襲による火災の延焼を防ぐため、昭和19年(1944)2月から同20年(1945)6月までの間に数次にわたって鶴橋駅付近の建物の疎開が行われ、戦後その空き地に闇市ができました。のちにその跡地に店舗が立ち並び、これが現在の国際マーケットとなっています。 |
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A 大軌(現・近鉄)鶴橋停留所跡 |
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■大阪電気軌道は大正3年(1914)、上本町~奈良間が開通。同時に鶴橋停留所(現・近鉄鶴橋駅の東150m、軌道と鶴橋本通りが交差する地点。1932年移転)が設置されました。路面を走る地上線でしたが、国鉄城東線(現・JR大阪環状線)を跨ぐところだけ高架になっていました。城東線の鶴橋駅は昭和7年(1932)になって、大軌連絡駅としてようやく開設されたものです。 |
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B 大小橋命胞衣塚 ■大小橋命胞衣塚(おおおばせのみことえなづか)は、式内社・比賣許曽神社とゆかりの深い大小橋命の胞衣を納めた所と伝えられ、後世、この塚に植えられた柳が、子供の夜泣き封じに効能があると伝承され、俗に「よな塚」と呼ばれ、人々から親しまれてきました。 |
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C 比賣許曽神社(ひめこそじんじゃ) ■比賣許曽神社は、下照比賣命を祀る延喜式内の名神大社で、旧社地は小橋の産湯稲荷の地にありました。天正年間(1580年頃)の石山合戦で兵火にあい現在地(東小橋村)の牛頭天王社に合祀されました。『古事記』では新羅から渡来した赤留比売命を祀ったと記されています。 |
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D 亀の橋跡 ■亀の橋はかつて東小橋村と猪飼野村との境を流れていた旧平野川に架けられていました。旧平野川は昭和15年(1940)に埋め立てられ、長さ9m・幅3.6mのこの石橋は廃橋となり、現在八木酒店の前に親柱の1本が残されています。 |
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E 陣堂道 |
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■明治42年(1909)、片江(現在の生野区小路一丁目)の豪農・井上和三郎氏が村の発展のため、片江から亀の橋を経て天王寺区舟橋町に至る延長2.8km・幅3.6mの道路を独力で作りました。その後、材木商の石田寅吉という人がその沿道に長屋を建てたために、この付近一帯は割合早い時期から宅地化が始まりました。 |
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F 梁石日『血と骨』の舞台 ■作家・梁石日(ヤン・ソギル、本名梁正雄、1936年生)は大阪市東成区中道で生まれ、戦後両親とともに同区大成通(現・玉津2丁目)の在日コリアン密集地域であるこの地に転居。平成10年(1998)、類いまれなバイタリティを持つ実父をモデルに、小説『血と骨』を書き、第11回山本周五郎賞を受賞。 |
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■昭和8年創業の老舗食堂(「血と骨」に登場) |
■「血と骨」の舞台 喫茶チコ |
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■平成16年(2004)、崔洋一監督・ビートたけし、鈴木京香主演の映画『血と骨』は日本アカデミー賞監督賞の最優秀賞など数々の映画賞を受賞しました。
■同映画に出てくる市電「大成通一丁目」停車場(1969年廃止)周辺では、『サンデー毎日』創刊時からの看板、昭和8年(1933)創業の食堂など、昭和初期にタイムスリップ! |
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G 松下幸之助起業の地 ■世界のパナソニックの創業者・松下幸之助は大正6年(1917)6月、自身が考案した「松下式ソケット」を製作するため、それまで勤めていた大阪電燈(株)を退職。当時住んでいた猪飼野の借家、四畳半・二畳の二部屋のうち四畳半の床を落とした作業場で、妻「むめの」やその弟の井植歳男(三洋電機の創業者)らとソケット作りを始めますが、作ったソケットは皆目売れずに困窮、そこにたまたま舞い込んだ扇風機碍盤の注文で窮地を脱し、翌年の3月、さらなる飛躍を求め福島区大開町の少し大きい借家に引っ越しました。 |
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■平戸橋(平野川に架かる橋です) |
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H 大阪セルロイド会館(国の登録有形文化財) ■大阪セルロイド会館は昭和6年(1931)に建築され、昭和12年(1937)に増築されました。列柱構成と町家風のデザインとを組み合わせたこの建物は、平成13年(2001)に文化庁により登録有形文化財(建造物)に指定されました。この地域がセルロイド産業の中心地であった時代の息吹が感じられ、産業史跡としても重要です。 |
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I 4代目桂米團治顕彰碑(東成区役所敷地内) ■この碑のある場所は、4代目桂米團治(1896〜1951、本名:中濱賢三)が営んでいた中濱代書事務所があった場所です。 碑に刻まれた「4代目桂米團治」の文字は、4代目自身による署名を写し取ったもので、同じく碑に刻まれた「儲かった日も代書屋の同じ顔」は、4代目作の川柳であり、この碑のために5代目桂米團治が書いたものです。 |
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■この碑の除幕式は、5代目桂米團治はもとより4代目桂米團治の弟子である人間国宝・桂米朝や4代目桂米團治の親族も参列して、盛大に行なわれテレビや新聞にも報道されました。 米朝も「この場所に通った」ことや当時のエピソードを話しました。
■この代書事務所での体験を題材にした落語「代書」(1939年初演)は、4代目桂米團治の創作による傑作です。 |
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J 東成区役所(市民協働ステーション「ふれ愛パンジー」) |
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■平成19年(2007)10月、市税事務所設置に伴って各区役所に空きスペースが生まれました。そこで庁舎の一部を翌年3月にリニューアルして、区民のための協働スペースとして無料で開放しました。
■区の花である「パンジー」に因んで「ふれ愛パンジー」と名付けられて、地域活動に取組む各種団体・区民のミーティングや展示・発表などに活用されています。 |
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■大阪市営地下鉄千日前線「今里」から帰りました。 |
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★ 【今日のアクティビティデータ】 歩数:9,709歩 距離:8.5km 移動階数:8階
※この記事のマーカー「■」以降は、ガイドマップからの転載です。 |
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