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〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜

No.004 絶景パノラマ360°!大阪湾空中散歩

〜海岸通からなみはや大橋まで〜

大阪あそ歩 OSAKA ASOBO No.014

  

大阪市港区海岸通から、大正区鶴町までを結ぶ、なみはや大橋。全長1,740メートルは、大阪市内で徒歩で渡れる橋としては最長の規模を誇ります。その周辺には築港高野山や港住吉神社、赤レンガ倉庫、港大橋と見所が満載。大阪湾岸の開発の歴史を辿ります!

今回選んだウォーキングマップは大阪市営地下鉄「大阪港」からスタートし、ゴールが「鶴町三・バス亭」となっているけど、「鶴町三」っ」何処よ。

市バスって、乗っても何処にむかっているのか不安だし、過去に千里中央でえらい目にあったことがトラウマになっているので・・・調べました! 大阪港に戻れるバスは1時間に2本です。不便です。

 

もっと調べました! ゴール近くのIKEAへの直通バスが梅田から出ています。210円で行けます。地下鉄より安いです。 ということで、不安?なバスからスタートして、帰りは安心?な地下鉄で帰ってくることにしました。

ですので、今回はウォーキングマップの逆回りです。 四国霊場も今年は閏年で逆打ちですので・・・関係ないね。

(以下、マップ番号が降順になります。ちょっと違和感があるけど、悪しからず)

 

梅田のIKEA行バス乗り場に到着して数分後にバスが到着、乗ったのは5人だった。

「梅田駅前、ドーム前千代崎駅前、JR大正駅前とIKEA鶴浜を結ぶ、IKEA⇔梅田・大正Express

片道大人210円、ご来店時に利用されたお客さまには当日のお買い物にご利用頂ける500円分のクーポンをプレゼント中です。(IKEA)

 

途中2か所に停車し、5人が乗車。バス内は余裕たっぷりです。 約40分かけてIKEAに到着。 210円を支払い、500円クーポンをもらいました。

バスを降り、皆さんとは逆の方向に歩きはじめましたが・・・周囲は広大な空き地。

マップの逆順どおり最初の「神明神社」に行くべきか、パスして「なみはや大橋」に向かうべきか迷いました。

・・・うーん、一期一会!、初心貫徹、苦あれば楽あり(あんまり関係ないけど) ということで「神明神社」に行きます。

 

I 神明神社

後陽成帝(15711617)の時代に京都・西院に祭られましたが、徳川家康の外孫・松平忠明が大坂の陣のさいに参拝。見事に戦勝を収めて忠明は大坂城主となり、これは神明神社の霊験なりと元和2(1616)に蝋燭町(後の内平野町)に遷しました。

 

日中神明社と称されて、朝日神明社(此花区)、夕日神明社(北区)と並ぶ大阪三神明のひとつです。かつては広大な社地を誇りましたが時代の変遷で狭小し、松屋町筋拡張工事のさいに、鶴町住民の熱烈な誘致によって、大正13(1924)に鶴町に遷座しました。

 

戦災によって社殿、社務所、倉庫、祭具、書画宝物、神社の記録一切を焼失しましたが、昭和52(1977)に本社殿を再建しています。

  

 

H 鶴町

明治30(1897)から始まった大阪市の築港計画の埋め立てで造成され、大正8(1919)3月に鶴町として誕生しました。町名は聖武天皇時代の難波宮近くの光景を田辺福麻呂が詠んだ「潮干れば 葦辺に騒ぐ 白鶴(百鶴とも)の 妻よぶ声は 宮もとどろに」(万葉集)が由来です。

 

 

G なみはや大橋

大阪市の港区海岸通と大正区鶴町とを結ぶ尻無川に架かる全長1,740メートルの有料橋で、通行料金は普通自動車100円、原動機付自転車10円、徒歩、自転車は無料です。(修正:大阪市道路公社が尻無川新橋有料道路として19952月供用開始し管理していましたが、201441日に大阪市道路公社の解散に伴い無料開放されました)

 

尻無川河口部の両岸を結ぶことにより、港湾地域の道路網の整備と災害時の避難・救援路の役目を果たす目的で計画されました。

 

流線形を描いた長大橋で、中央部の水面からの高さは45メートルあって、橋下を通る大型船の航路を確保した設計となっています。着工は昭和52(1977)12月で完成は平成7(1995)2月。工費は217億円です。

 

大阪ドーム、昭和山、通天閣、WTCコスモタワー、天保山大観覧車など、大阪のランドマークが一望できて、夜景が美しいことでも定評があります。

ここが大正区側の入り口です。

 

橋の上に出ました。 

1. 勾配が長く、きついです。

勾配は6.9%。ダイハツ工業のCM(ダイハツ タント カスタム ベタ踏み坂)で話題になった「江島大橋」(鳥取県〜島根県)のスペックを超える橋なのです。

◆ベタ踏み坂【江島大橋】

全長:1,446m、高さ:44.7m、斜度:6.1

◆なみはや大橋

全長:1,740m、高さ:45.0m、斜度:6.9

 

2. 歩道部分が広いです。

こんなに広く作らなくてもよかったのに・・・と思いましたが、理由は後でわかりました。

橋げたが思っていたより低く、そばに寄ると下がしっかり見えます。心理的には「端っこを歩きたくない!」と思ってしまうのです。 高いところが苦手な人には怖い橋です。

振り返るとIKEAが見えます。

橋桁の外側からパチリ。・・・怖い!

巨大クレーン、名前は「ネプチューン」って言います。

阪神高速の「港大橋」が見えます。

千歳橋、この橋も歩道付です。 遠くにハルカスが見えます。

このあたりが橋の頂上です。

斜度:6.9%の標識

天保山大橋 と観覧車が見えます。

振り返ってみると、ずいぶん歩いてきました。

三十間堀川水門

やっとあった!、橋の銘板

出口(入口?)が見えてきました。

ここが港区側の入り口です。

 

 

F 港大橋

大阪市港区(大阪港・天保山地区)と住之江区(大阪南港・咲洲)とを結ぶ全長980メートルのトラス橋です。

中央径間510メートルは日本最長で、世界でも第3位の長さを誇ります。

上下2層のダブルデッキになっており、上段が16号大阪港線、下段が5号湾岸線です。

橋下を4万トン級の大型コンテナ船でも航行できるように、海面から桁下まで50メートル以上の高さを確保しています。

 

昭和49(1974)建設で、土木学会田中賞を受賞しています。

また1995年の兵庫県南部地震の影響で耐震連結装置に損傷が発生したので耐震補強工事を実施。最新技術を駆使してコスト削減にも成功し、2007年に2度目の土木学会田中賞を受賞しています。

 

 

E 海岸通ギャラリー・CASO

民間最大規模の現代美術のためのレンタルスペースで、CASOとは「Contemporary ArtSpace Osaka」の頭文字からとったネーミングです。

もとは築30年の住友倉庫だったのを20009月に改造したもので、国内外の現代美術作家の展示から大学、行政、企業主催の企画展などで利用されています。

CASOの横には広場があり、大阪港が見えます。

湊大橋も見えます。

 

 

D 赤レンガ倉庫

築港が国際港として整備されると、大正12 (1923)に住友倉庫によって物流拠点として竣工しました。昭和3(1928)には鉄道が開通し、貨物列車の発着駅となり、国内外の港を結ぶ貨客船の貨物積み降ろしが行われていました。

 

しかし戦後、昭和40(1965)以降になると、貨物運搬はコンテナ(貨物を納めた移動式倉庫)が主流となり、赤レンガ倉庫は必要とされなくなり、平成11(1999)に倉庫としての役割を終え、現在は大阪市が管理しています。

現在はクラシックカーの博物館や、GLION STEAK HOUSE(ハワイのワイキキで有名なステーキレストラン・・・らしい)が開店しているそうです。

 

C 港住吉神社

住吉大社の境外末社で、天保13(1842)に大阪港に出入りする船の航海安全や、漁労安全を祈って祭られました。当初は天保山上に建てられていましたが、大正6(1917)、現在地に移転しました。

 

社殿は戦災で焼失し、戦後に再建されたものです。境内には「ざこば」「塩魚」「干鰯」「うつぼ」「北組」「南組」といった石塔群がありますが、これは永代浜(大阪市西区)の住吉神社を明治末に合祀した事情によります。また日露戦争の軍艦の砲弾2発が奉納され、隣の築港南公園には日露戦争記念として作られた軍馬の銅像がありましたが、太平洋戦争時に金属類供出によって撤去されて、現在は台座だけが残っています。 

これがあの有名な「なぜか笑っている狛犬」

 

軍馬の銅像・・・の台座(だと思う)

 

・・・の台座???

 

B 釈迦院(築港高野山)

正式には「高野山真言宗 準別格本山 築港高野山 釈迦院」といいます。かつて弘法大師が難波津(大阪の港)から唐に留学して、我が国に真言密教を伝えたのを顕彰するため、明治43(1910)に弘川寺(天智天皇4年・665年創建。大阪府南河内郡河南町弘川)塔中「釈迦院」の寺号を築港に移したのが寺院の縁起です。

当時は7,800坪の大伽藍で、「東の四天王寺、西の築港高野山」と呼ばれるほど参詣者が集い、毎月21日の縁日には賽銭米は3石程、屋台も130店余り出て大いに賑いました。しかし昭和2061日、大阪大空襲にて焼失。昭和27(1952)に天保山運河高野堀拡張のため、以前の15分の1の規模に縮小されて現在地に移転しました。

 

境内の一願不動明王は大阪四不動霊場(他はさせん堂不動寺の無動尊、太平寺の北山不動尊、福島了徳院の大聖不動明王)として篤く信奉されています。

 

 

A 築港温泉

昭和27(1952)開業。モザイクタイルなどが貼られ、昭和のレトロムードがあふれている風呂屋です。築港のまちづくり、まちおこしとして、地域の方と一緒になって、浴場の音響を利用しての音楽ライブ・コンサートや、落語寄席、写真展なども実施しています。 

 

 

@ 大阪港駅・大阪港

昭和36(1961)、大阪市営地下鉄4号線(現在の中央線)の駅として開業。

国際貿易港としての大阪港の歴史は慶応4(1868)の大坂開港から始まります。

当時は安治川口に外国人居留地なども作りましたが、安治川の川底は非常に浅く、外国船は神戸港を利用したため大阪港はすぐに廃れました。そこで明治6(1873)にオランダ人技師エッセルとデ・レーケが淀川開削と築港計画を建てますが財政不足で順延。ところが明治18 (1885)に淀川大洪水が起こると淀川開削と築港建設の要望が高まり、明治30(1897)、ついに築港工事が開始されました。

 

当時の市予算の30倍という巨大プロジェクトで明治36(1903)には大桟橋と花園橋から築港への市電(公営電気鉄道では日本初)も開通しますが、なかなか船利用は伸びず、財政難で工事中断に。しかし築港なかりせば大阪経済は浮上しないと、在阪の企業が資金協力して工事を継続、昭和4(1929)に完成させました。

今回はガイドマップに載っているポイントを全て周回するために歩行距離が多くなってしまいました。また、橋の勾配もあり足への負荷が高めのコースだったと思います。

 

でも、普段では歩くことのない橋の上からの景観は素晴らしいものでした。また、蒸し暑い気候の中で海風でヒンヤリ、橋の下を見てヒンヤリしながら楽しく歩いてきました。

(今日の検討課題:ガイドマップ通りに歩いて達成感を主眼に置くか、ガイドマップを参考に自由気ままに歩くか・・・それが問題だ。)

 

【今日のアクティビティデータ】  歩数:14,868歩 距離:10.3km 移動階数:18階 

 

※この記事のマーカー「」以降は、ガイドマップからの転載です。

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