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〜〜〜 くらさんの大阪うぉーきんぐ 〜〜〜

No.003 上方落語の祖・米沢彦八、罷り通る!

〜当世仕方物真似から生まれた上方落語〜

大阪あそ歩 OSAKA ASOBO No.050

 

これまでの「中津界隈」や「中之島橋めぐり」は記事にしても歴史書のようだし、そもそも歩いていても面白くなかった。うーん・・・そもそもの企画がまずかったのか、それともガイドマップの選択に失敗しているのか・・・と思いながらもマップを見ていると、「〜上方落語」があった。以前から「崇徳院」や「高津の富」などの落語に出てくる「高津さん」とはどんな所なのかと興味があった。

よっしゃ、これだ! ということで、今回は谷町九丁目をウォーキング。

 

生國魂神社では上方落語の祖・米沢彦八が「当世仕方物真似」で反権力の笑いをとり、高津宮では「高倉狐」や「いもりの黒焼き」や富くじを題材にした上方落語がわんさかと作られました。上方落語の舞台を廻って、活き活きとした江戸時代の大坂庶民の姿を感じ取ってください!。

大阪市営地下鉄谷町線「谷町九丁目」で降りてウォーキング開始です。

  

@ 高津宮(たかつのみや)

落語「高津の富」に登場します。社伝によれば貞観8(866)に清和天皇の勅命で難波高津宮の遺跡が探索され、その地に祀られたことが始まりです。

その後、秀吉の大坂築城によって現在地に遷座しました。難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神としています。

 

「高津の富」あらすじ

その日暮らしの主人公が「鳥取の豪商」と嘘をついて旅館で豪遊して支払いもせずに消えようと悪巧みを考えます。宿の主人を騙すために「2万両の取引に来た」「お金が余って困るので賊にどんどん盗らせたが千両箱が86箱しか減っていなかった」「漬物石は千両箱だ」などと大嘘をつくと、主人は「それなら運試しに」と高津宮の富札を買わせます。主人公は泣く泣く一分銀を支払って、勢いで「当たったら半分やる!」と約束。いざ高津宮で富札の抽選が始まると、なんと主人公の富札が一番(1000)に!主人公は宿に戻って布団をかぶって寝てしまいます。やがて主人も当選を知って吃驚仰天。宿へ帰って「半分の500両を下さい!」と慌てて下駄を履いたまま枕元へ。主人公は「人の寝間に下駄をはいて来るとは!」と怒りますが、主人が「申し訳ない!とりあえず当選した祝いに酒を」と布団をめくると、主人公は草履を履いていました。 

 

  

A 高倉稲荷神社

落語「高倉狐」に登場します。高津宮本殿の向かい右手に鎮座していて、商売繁盛や芸能上達の神として有名です。高倉稲荷の近くに湯豆腐店があり、後に「料亭・藤壺」というお店が出来ました。参拝者も多く市内の稲荷の筆頭だったと『大阪府全志』に書かれています。

 

「高倉狐」あらすじ

主人公・正やんが陽だまりで寝ている狐に気がつき、友達が以前、狐に騙されたので仇討ちを考えます。寝ている狐を「ちょっと姐さん、起きなはれ」と揺り起こすと、不意をつかれた狐は正やんの目の前で女性に化けます。正やんは騙されたふりをして狐を湯豆腐屋へ。酒をどんどん飲ませて、そのうち狐は店の中で酔いつぶれます。正やんは店の者に「勘定は連れに預けた」と嘘をついて逃亡。狐は騙された事に気づき、正体もばれて、命からがら逃げました。正やんは「狐を騙してやった」と得意気でしたが、「高倉さんの罰が当るぞ」と諭されると次第に反省するように。翌日、狐に謝りに高倉稲荷に行って裏の狐穴を探していると子狐が出てきました。正やんはお詫びとして饅頭を渡して帰ります。その後、母狐が帰ってくると子狐が「謝まって饅頭を置いて帰ったよ」と報告。母狐は「その饅頭は食べたらあかん。馬の糞かもしれん」 

 

 

 B 絵馬堂

仁徳天皇は難波高津宮で民の暮らしぶりを眺めて「高き屋にのぼりて見れば煙りたつ民のかまどはにぎわいにけり」と歌ったという伝説がありますが、その様子を描いた絵が飾られています。落語「崇徳院」の舞台です。

 

「崇徳院」あらすじ

若旦那が病に臥せってしまい、医者に診てもらうと「これは何か思いつめている気病で、思いを叶えれば治る」という診断。親が心配して「何を思いつめているのだ?」と聞きますが若旦那は「熊五郎に話す」と言うので熊五郎が呼ばれます。若旦那は「じつは高津さんの絵馬堂で見た女性が忘れられない。名前も素性も判らないが女性が料紙に残した歌がある」と熊五郎に渡します。それは崇徳院の恋歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う」でした。若旦那は「女性を発見したら借金帳消しで蔵つきの5軒借家をやるぞ」というので熊五郎は寝食忘れて「瀬をはやみ〜」と大声を出して大坂中を走りまわります。なかなか見つからないので諦めかけたときに床屋の客から「気病に罹ったお嬢さんがいる」と聞いて、熊五郎は「そのお嬢さんや!ここで会ったが親の仇!」と大興奮して客と揉み合いに。弾みで床屋の鏡が割れて床屋の主人が「鏡割れたがな!」と責めると、熊五郎は「心配すな!崇徳院の下の句じゃ」「下の句?」「割れても末に買わんとぞ思う」 

恋煩いで寝付いたという若旦那が、お嬢さんにヒトメボレしたというのが高津神社の絵馬堂前のお茶屋。江戸時代には境内から淡路島までスラーっと見渡せる程の展望で、お参りの後の茶店は賑わっていたのでしょうね。

 

C 5代目桂文枝之碑

6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治とともに「上方落語の四天王」と称された5代目桂文枝の生涯最後の口演は、平成17(2005)110日の高津宮での「高津の富」でした。そこで翌年に3代目桂春団治の揮毫で当碑が建立されました。

 

D 高津の富亭

境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われています。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」でした。

また、ここでは今でも定期的に寄席が開催されています。

 

E 高津の黒焼き屋跡

高津宮の絵馬堂下の石段降りてすぐの瓦屋町5番丁に看板を掲げていました。

400年続いた老舗でしたが、12代目の当主がなくなった後、継ぐ方がなく廃業してしまいました。落語「いもりの黒焼き」の舞台として有名です。

 

「いもりの黒焼き」あらすじ

甚兵衛が「米屋の娘に惚れたが何とかならないか?」と喜六に相談すると、喜六は「高津宮近くの黒焼き屋のいもりの黒焼きが良いぞ」と薦めます。「交尾中のいもりを無理やり引き離して別々のつぼに入れて蒸し焼きにしたもので、オスの粉を自分の体につけて、相手の女性にメスの粉を振り掛ければ、勝手に女性が寄り添ってくる」と使い方を説明され、甚兵衛は喜び勇んで高津宮の黒焼き屋でいもりの黒焼きを買います。早速、惚れた米屋の娘にかけてやろうと企みますが、なかなか娘が出てきません。ようやく娘が出てきたので粉をかけますが、風がぴゅーと吹いて米俵に。すると米俵がゴトゴトと動き出して甚兵衛に近づいてきました。甚兵衛は吃驚仰天して逃げますが、家に帰って戸締りしても米俵が戸を破って追いかけてきます。逃げ回る甚兵衛。追う米俵。その様子を見た甚六は「何をしてんねんな?」と問うと、甚兵衛は「苦しい!」「何がそんなに苦しいねん?」「飯米に追われてます!」

ということで、行ってみましたが、跡形もありませんでした。 左側のビルの隣ぐらいの位置なんだけどなぁ・・・

 「いもりの黒焼き屋跡」の看板ぐらいあったらいいのにねぇ〜

 

千日前通りを渡り、生國魂神社に向かいます。

 

F 生國魂神社

社伝によれば神武天皇が東征で難波津に着いたさいに生島大神・足島大神を祀ったのが創始と伝えられています。豊臣秀吉が大坂築城のさいに現在地に遷されました。

 

 

G 米沢彦八碑

上方落語の祖・米沢彦八は生國魂神社の境内で「当世仕方物真似」の興行を催しました。彦八の様子を描いた挿絵によると、立烏帽子、大黒頭巾、編み笠、湯呑茶碗などが描かれており、それらを駆使して公家や大名の立ち振る舞いを面白おかしく演じました。江戸や京都では出来ない、町人のまち・大坂らしい反権力の笑いであったようです。当碑は上方落語協会が平成2(1990)に建立しました。毎年9月には上方落語ファンへの感謝デーとして上方落語家が様々な催しを繰り広げる「彦八まつり」が実施されています。

 

H 井原西鶴像

浮世草子で有名な井原西鶴は、大坂で流行した談林派の俳人としても活躍しました。延宝5(1677)には生國魂神社にあった本覚寺で、大勢の見物人を前に一昼夜(24時間)不眠不休で、独吟1600句を詠む「矢数俳諧」を行い、延宝8年には生玉社別当南坊にて一昼夜で、独吟4000句を詠んで、世間の人々を驚かせました。西鶴像はそのときの様子を想像して制作されたものです。

 

今回のウォーキングガイドには記載されていませんが、生國魂神社には各種?のお社が設けてあります。

 

 

I 蓮池跡

落語「蛸坊主」の舞台です。現在は埋め立てられ、生玉公園になっています。近松門左衛門『曽根崎心中』にも主人公・徳兵衛が、友人の九平次らに囲まれて蓮池まで追われて踏まれたり叩かれたりしている場面があります。

 

「蛸坊主」あらすじ

蓮池の茶屋で4人の坊主が「精進料理を」と亭主に頼みました。食べ終わると坊主たちは「実に旨かったが出汁は何だ?」と亭主に訊ねます。亭主は正直に「鰹です」と答えると、坊主たちは「我々は修行中であるのに鰹を食べさせるとは何事だ!」と騒ぎたて「もう高野山には戻れない。ここで養ってもらう」と脅迫します。

亭主が困り果てていると、その様子をみていた一人の僧侶が仲裁に入って「目にもろもろの不浄を見て心にもろもろの不浄を見ず。口にもろもろの不浄を食べて心に不浄を食べず。道心堅固であれば鰹の出汁に目くじらたてるな」と一喝。4人は口々に反論しますが話をしていると、どうも怪しい。じつはニセモノ坊主とばれました。

僧侶は「このタコ坊主め!」と罵ると、4人は「タコ坊主だと!?」と怒って一斉に跳びかかります。ところが僧侶は次々に4人を蓮池に投げ込みました。蓮池に逆さまに突き刺さって8本の足だけが水面から出ている様子を見て、「これぞまさしくタコ坊主」

 

蓮池は地下鉄工事に伴い、埋め立てられて「生玉公園」になっていますが、公園内に池の跡が一段低くなっており、ここに池があったんだなぁ〜と想像できます。

 

今回は歩行距離も短く、楽ちんでした。 次回も楽ちんなのを選ぼうと思っています。(第一回目に「健康のためのウォーキングだ!」と宣言しておきながら、もう趣旨が変わってきてるぞ!)

 

【今日のアクティビティデータ】  歩数:12,185歩 距離:7.9km 移動階数:19階 

 

※この記事のマーカー「」以降は、ガイドマップからの転載です。

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