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〜〜〜 くらさんのふらっと散歩 〜〜〜

No.101  墓参りついでに呉羽山散歩 〜富山市民俗民芸村〜    (2022.09)

 

今年のお盆に墓参りをしなかった。なんだか悪い事をしているような気持を引きずっている・・・。スッキリするためには時期外れだが行かねばなるまい。前回お参りしたときに、お墓にあるツゲの木が隣まで伸びていて迷惑をかけているので先っちょをカットしたけど、また伸びてるだろうからノコギリでバッサリ切ってこようかな。うーん、せっかく富山まで行くのなら釣りや観光なども含めたいなぁ…ってことで富山に行きました。

 

前日に家族に「明日、富山に行ってくる」と告げ、宿泊予約をして、電動ノコギリと釣り道具を準備して就寝。翌日は朝食をとってから出発した。若かりし頃はサンダーバードと競争したものだが今はその元気は無い(39kmオーバーで検挙されて以来、無謀運転は謹んで模範ドライバーになっている)

高速道路は「北陸道リニューアル工事(5/912/16)」とかで、あちこちで車線規制や対面通行だった。

 

15時過ぎに今回メインの目的であるお墓に着いた

お隣との比較…やっぱりバッサリ切ってしまおう!

切っちゃいました

 

この後、周囲を掃除してお参りをしました。

知ってた? コンビニで買った線香と蝋燭とマッチがセットになった「お墓参りセット」にお経のURLが付いていて、アクセスすると読経が約20分流れるって。

やってみました。スマホからお経をあげながらのお墓詣り。ありがたいのかどうか???、まあ気持ちの問題だね。

 

お墓参り後の「夕まづめ」に魚釣りに赴く予定だったけど疲労気味〜缶ビールと日本酒とつまみを買って今日の宿泊場所へ直行だ

今回の宿は「呉羽ハイツ」

まずは風呂だ!

風呂は別棟になっていて…遠い

 

誰もいない カメラを取りに戻った

 

露天風呂も行ってみよう

暗くてよくわからん

翌朝 おっはよー、久々によく眠った感 北アルプスが綺麗に撮れるかもしれないと思い撮影ポイントに行こう!

呉羽山から剣岳を背景にした富山市内を見渡せる

山は霞んでイマイチ

冬の視界良好な時は↓(「富山観光ナビ」から借用) タワー111の上が日本一登山危険度が高い「剣岳」

呉羽山公園展望台から山を下る途中に案内板が…

 

富山市民俗民芸村…聞いたことがあるような無いような…行ったことないなぁ、いつからあるんだろ?

ちょっと寄ってくか

ということで、チョットのつもりで行ってみた。

 

受付は何処だろう?と探しながら坂道を下っていき、一番下にある「民族資料館」まで来た。

民俗資料館の駐車場に車を止めて、中に入ってみた

 

駐車するのを見ていた係のおねえさんが玄関で出迎えてくれていた。

私:「入館受付はこちら? どんなシステム?」

受付:「各館100円で其々入館時に払ってください。

全館観覧だと530円です」

私:「うーん、じゃあ全館で」

受付:「JAFの会員章はお持ちですか?」

私:「はい」

受付:「でしたら420円になります。 それから、上のほうにも駐車場があるから、車で移動されたほうが楽です。坂がきついんで」

民俗資料館

 

民俗資料館は、富山市周辺の民俗資料を収集・保存・展示するために昭和49(1974)年に開館されました。

資料館として移築されたのは、富山市山田中村(旧山田村)にあった谷浦家住宅で、移築時に一部を改築しました。谷浦家は江戸時代後期に建てられた、茅かや葺ぶき・寄棟合掌造りの農家です。

収蔵資料は、衣・食・住を中心とする生活用具、農耕や養蚕などの生産用具、祭礼用具など約1,700点あります。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

売薬資料館

 

300年余の歴史を持つ「富と山やま売ばい薬やく」関係の史資料を保存・活用するために、昭和591984)年に開館しました。収蔵資料のうち846点は「富山の売薬資料」として、国重要有形民俗文化財に指定されています。それらを含めた数々の資料を保管し、展示や収集を行っています。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

■渡り廊下でつながる「別館 旧密田家土蔵」

■懐かしい紙風船をお土産にいただきました

民芸合掌館

 

民芸合掌館は、文久21862)年、富山市山田数納/すのう(旧山田村数納)に建てられた山岸家の住宅を、昭和43(1968)年に移築したものです。

豪雪や風雨に耐える巨大な柱や梁の用材は主に欅けやきで、木材の調達から建築、完成までに8年を要したといわれています。

民芸合掌館は、狭い土地の効果的な利用、大家族の住居、養蚕への適用などから屋根裏は3層に作られています。 また、豪雪に耐えるために巨大な大黒柱(34p角の欅けやき材)や梁はり、桁けたが使われています。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

民芸館

 

民芸館は明治121879)年、今から約130年前に建てられた板蔵です。

昭和40(1965)年に、中田勇吉氏(後に16代清兵衛を襲名)が父、清兵衛氏(15)の米寿を記念して、岐阜県飛騨市(旧神岡町)からこの板蔵を当地へ移築し、富山市に寄附されました。

板蔵としては大変大きなもので、長く張り出している庇や破風、約90cm(半間)ごとにたっている頑丈な柱、それらをつないでいる広い貫(ぬき)、見事な棟木(むなぎ)など板蔵として格調の高い建物です。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

考古資料館

 

富山市は3,000m級の山岳部から海岸部まで多様な地勢を有し、市内には約1,050ヶ所の遺跡が知られています。当館は市内の遺跡で発掘された出土品を展示・保管する施設として、昭和541979)年に開館しました。

先土器時代(旧石器時代)から平安時代までの出土品を時代の流れに沿って展示し、地域独自の文化の歩みが学べるようになっています。考古資料館が建つ呉羽丘陵周辺には多くの遺跡があります。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

陶芸館

 

陶芸館は、明治271894)年に市内大塚に建てられた豪農の住宅の一部を移築し、昭和561981)年から富山市陶芸館として、全国各地の暮らしのやきものを紹介しています。

建物は、良質な材料を吟味して集め、高度な技術で作られています。

富山県の平野部に建てられた切妻造民家「アズマダチ」の典型として評価を受け、平成91997)年に国の登録有形文化財に登録されました。

(富山市民俗民芸村HPから転載)

篁牛人記念美術館

篁牛人・・・「卓越した技術によって独自の画境を創出し、日本画壇の中でも、ひときわ異色の存在として注目を集める水墨画家」 だそうです。

 

時間不足と疲労でパスしました。

墓参りついでに立ち寄った「富山市民俗民芸村」、チョットのつもりが長時間の滞在となってしまった。建物や収蔵品に興味がある人は鑑賞にまる一日かかるかもしれないな。

この施設は昭和40(1965)年に民芸館を開館し、以後、民芸合掌館、民俗資料館、考古資料館を設置され、昭和54(1979)にはこれらを一つの文化集落として、富山市民俗民芸村となったそうだが…1989年まで富山に住んでいて、何度か前を通ったことがあったけど知らなかった。

もしかしたら、今住んでる近くにもこんな場所があるかもしれないなぁ…これから広報をちゃんと読もーっと。

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