■さて、ここでクイズです。
三大仏といえば、一番は奈良の大仏、二番は鎌倉の大仏、それでは三番目は?
・・・実は決まっていないそうなんです。
■江戸時代
1. 奈良の大仏(大和国添上郡(現奈良県奈良市)、東大寺)
2. 鎌倉大仏(相模国鎌倉郡(現神奈川県鎌倉市)、高徳院)
3. 京の大仏(山城国紀伊郡(現京都府京都市)、方広寺)
奈良の大仏と鎌倉大仏は江戸時代以前から存在するが、当時三大大仏の概念があったという話は伝わっていない。初めて三大大仏の概念が大衆に普及した形で現れることを史実として確かめられるのは江戸時代に入ってからである。豊臣秀吉による京の大仏は慶長元年7月13日(1596年9月5日)の慶長伏見地震によって開眼法要前に倒壊し、遺志を継いだ豊臣秀頼による2代目の京の大仏は、造営中の事故で溶解した。江戸時代の京の人々に長く親しまれることになる京の大仏は改めて造営された3代目のものである。
しかし、3代目の京の大仏も寛文2年5月1日(1662年6月16日)の近江・山城地震によって損壊、解体され、銅は溶かされて貨幣(寛永通宝)に変えられた。新しく造営されたのは木造の大仏であったが、寛政10年(1798年)に落雷によって大仏殿もろとも焼失。その後天保年間に再建されるまでの間、京の大仏は姿を消した。
なお、再建された大仏は非常に規模が小さいものであり、三大大仏に挙げられるようなものではなくなっていた。この大仏も昭和時代中期に火災によって焼失している。
■戦前
1. 奈良の大仏(奈良県奈良市、東大寺)
2. 鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市、高徳院)
3. 兵庫大仏(兵庫県神戸市、能福寺)
京の大仏が焼失したあと3尊目に挙げられたのは明治24年(1891年)に造営された兵庫大仏であった。その規模はかつての京の大仏には及ばないが、長らく空いていた3尊目の座を埋めるには十分であった。しかし、兵庫大仏は太平洋戦争中の昭和19年(1944年)に出された金属類回収令によって供出される。
その後兵庫大仏は平成3年(1991年)になってようやく再建されたが、歴史の浅い2代目の兵庫大仏が三大大仏に挙げられるかどうかは異論がある。
■戦後以降
1. 奈良の大仏(奈良県奈良市、東大寺)
2. 鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市、高徳院)
3. 現状定説なし
兵庫大仏が供出された昭和時代中期以降、三大大仏の3尊目に富山県高岡市の大佛寺にある高岡大仏や岐阜県岐阜市の正法寺にある岐阜大仏などが挙げられることがあるが、現状定説はない。
■Wikipediaでは以上のように述べてあります。
事実はともあれ、少なくも「石切大仏」が三番目ってことはないだろ〜(東大阪市のみなさん、ごめんね)
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