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〜〜〜 くらさんのふらっと散歩 〜〜〜

No.085 名水・名酒のまち、伏見へ 〜伏見ウォーキング・前編〜 (2016.11)

 

 

ある日、イッシー寿から「酒蔵めぐりに行こう!」ってことで企画しました。(神戸市イベントの「2016灘の酒蔵探訪」に行くだけだけど…)早速、皆さんにお誘いメールを送ったのだが、「仕事でーす!」、「残念ながら…」、「次回は必ず」、「すんません…」などと参加を表明する者なし。

今年最後の暖かく晴れた休日なのに…もういい、一人でも行ってやる!と思っていたら、ヨッシーが「行けるよ」と返信があった。

「でも、灘の酒蔵は言いだしっぺのイッシ―寿にとっておいて、伏見に行こう」 とのことである。苦労して考えた企画をひっくり返す提案をあっさり受理した。 

 

09:30に大阪市営地下鉄「淀屋橋」に集合 

少々早めに着いたので、地上に出ました。

土佐堀川に架かる「淀屋橋」江戸時代の豪商・淀屋が架けた橋です。(実際に架けたのは工事を請け負った職人だけどね)

 

近頃、大阪の橋について詳しくなってきています。

京阪電鉄「淀屋橋」 09:32発の急行に乗りました。(ホームに降りたら、ちょうど特急が来たので乗ろうとしたのですが、座れそうでなかったため、次発の急行にしました。)

この電車は「淀」行でしたが、下調べをしていないので、「淀ってどこよ?」・・・

目的地「中書島」の一つ手前の駅が終点でした。

 

終点「淀」で普通電車に乗り換えです。

ホームから、きれいに整備された「淀競馬」が一望できます。

小一時間(52)かけて「中書島」に到着

K鉄ちゃんがいたら、もう少し早く着いた

 

09:30 ウォーキングマップの「伏見港公園」に到着 

ここは港でもないのに、なぜ伏見港なのでしょう。実はこの辺り昔「伏見の浜」と呼ばれて、伏見城が築かれた頃から第2次世界大戦まで、淀川舟運の基地だったそうです。

とくに江戸時代には、三十石舟や高瀬舟などが往来して、伏見は港町として大いに栄えたといわれます。

明治に入っても、外輪船が就航、数社が川蒸気を走らせたとか、その後東海道本線が開通したり、京阪電車が走り出したり、交通の近代化とともに、舟運は衰退しました。戦時中は軍用として港が整備されましたが、戦後の陸上輸送の発展とともに昭和30年代半ばで、港としての機能は幕を閉じたのです。その後を埋め立てたのが伏見港というわけ…

高瀬川により大坂と京都が結ばれ、舟運の拠点としてさらに繁栄 • 河川開削工事の大家でもあった京都の豪商・角倉了以が、1614(慶長19)に高瀬川を開削しました。これにより、高瀬川を通じて伏見から京都へも舟で輸送できるようになりました。

•伏見港は伏見と大坂を航行する過書船、伏見と京都を行き来する高瀬舟の発着点となり、舟運交通の中継拠点としてさらに繁栄を遂げていきました。

豊臣秀吉の伏見城築城により、伏見は城下町として繁栄しました。その一方で秀吉は宇治川を改修し、この地に港の機能を持たせます。

当時は、伏見〜大坂間が淀川の舟運、伏見〜京都間は陸上交通というのが一般的であり、伏見は舟運と陸路の中継点として重要な役割を果たしていました。淀川には秀吉が運航許可を与えた過書船が行き来していました。 (京都市HPから転載)

 

三栖閘門(みすのこうもん)

  

江戸時代、京都の港町として栄えた伏見。明治維新後も伏見港は、京都・大坂・奈良の三都を結ぶ水運として利用され、明治2年(1869)には外輪船が就航するほど栄えた港でした。

大正6年(1917)多くの行方不明者が出た大洪水をきっかけに、また当時、水運で最も利用の多かった宇治川の水位が不安定であったため、昭和4年(1929)に閘門が建設されました。当初は、三十石舟を始め、物資輸送の貨物船など年間2万隻以上が往来していたそうです。

 

新高瀬川を上流に歩いていくと行き止まり!

こんなに歩いてきたのに・・・ Uターンです・・・

長い道のりです。健康のために歩き続けます。 頭の中は「コンビニ・ビール・コンビニ・ビール・・・・」

  コンビニでビールを買いました。 美味しいビールでした。 久々に旨いビールでした。

 

通り道で大音量のジャズが聞こえてきました。

斉藤酒造の蔵開きだそうです。

このあとの行程を考えると通り過ぎるべきなのでしょうが…

斉藤酒造のお酒銘柄

・英勲(えいくん)

・井筒屋伊兵衛(いづつやいへえ)

・大鷹(おおたか)

・一吟(いちぎん)

・もろみ音(もろみね)

・古都千年(ことせんねん)

買っちゃいました

 

 

遅れをとってしまった、とウォーキング再開。

 

 

歩いていると、また人だかり…

「写真撮るから、ちゃんと旗もって!」でパチリ。

頭の中で白いのと黒いのが言い合っています。

黒:「ちょっと寄っていこうか!」

白:「今日の目的は健康ウォーキングです。」

黒:「中を覗くだけならいいだろう」

白:「はやく歩きましょう。」

黒:「飲まないから、ちょっと見るだけ」

・・・

結局、買っちゃいました。

このあとの行程を考えると通り過ぎるべきなのでしょうが…

北川本家のお酒銘柄

・富翁(とみおう)だけです。

 

空きっ腹で美味しいのですが・・・まわります!

 

急がねば…とウォーキング再開。

大手筋商店街

なんだか、酒のあての写真ばっかり撮っている。

竜馬通り商店街

 

寺田屋

 

皆さんは、「刀痕・弾痕・お龍が入浴していた風呂」など、全て当時のものでは無いって事をご存じでしょうか?

 

寺田屋で有名な事件は二つあります。

1862年島津久光の命により薩摩藩の尊攘派9名が殺害された寺田屋事件」、「1866年坂本龍馬が幕吏に襲撃をうけ危うく難を逃れた坂本龍馬襲撃事件」です。

また、京都観光NAVIでは、「寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。(京都市)」としています。

もうお気づきですね。 「寺田屋」自体が焼失しているのですから、当然、刀痕・弾痕・お龍の風呂、全て当時のモノではないということです。 

 

黄桜カッパカントリー

 

 

寄り道が多くて、記事が長くなってしまったので…後半に続く

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