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〜〜〜 くらさんのふらっと散歩 〜〜〜

No.065 原爆ドーム・広島城・縮景園〜広島センター出張記  (2011.02)

 

まず最初にはっきり言っておきたい事がある(また始まった〜ワンパターン)。 

私は日々、きっちり仕事をしている(つもりだ)。出張においても、もちろんしっかり仕事をしている(と思う)。 また、時間に対しては有効に使うことを心がけている(ように思う)。 

しつこいようだが、これだけはハッキリ言っておきたい。・・・という事で広島センター出張記。

 

 

今回の同行者は農園管理人のS氏である。前日に行きの列車を決めて・・・

くら「明日は新大阪発xxxxの電車で行こう。チケットはいっしょに取ろうか?」

S氏「僕もEX-ICカードあるから自分で取る・・・」

くら(PCで空席検索〜)「それじゃあn号車のn番を取って、僕はその隣をとるから」

S氏(ずーっとPCでゴチャゴチャ)「IDって何を入れるの???」

くら「はぁ〜?」

S氏「やったことないから分らない・・・」

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なんだかんだとあったものの無事に予定した列車に乗り広島へ・・・車内でも今回の案件対応基本方針をすり合わせたり、自部門の現状課題についての議論を重ねたりで、あ〜っという間に「ひろしまぁ」到着

 

会議開始まで我々に与えられた時間は2時間。

まずは営業活動エリアである広島中心街の状況把握と動向を視察するために市電に乗り「原爆ドーム」へと向かった

S氏「街には人が少ないようですねぇ」

くら「そうですねぇ、活気という面からも営業活動は厳しい状況でしょうねぇ・・・」

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原爆ドーム(英: Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英: Hiroshima Peace Memorial)は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建物)である。もとは広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、とくに負の世界遺産と呼ばれている。

 出典: フリー百科事典『Wikipedia

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194586日午前81517秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂した。

 

原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達した。0.8秒後には前面に衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風(参考として、気温30℃時の音速は秒速349メートルである)が襲い、350万パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)にさらされた。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存した。

 出典: フリー百科事典『Wikipedia

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広島平和記念公園の中には「広島平和記念会館」と「広島平和記念資料館」があるが、過去に展示物などを見て非常に暗い気持ちになった事や、今回は時間が無い事もあり、建物の横を通り過ぎるだけにした・・・

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飲食店が空いているうちに昼食を済ませようと繁華街(本通方面)へ向かおうと歩き出したら、病院の壁際に「爆心地」の標識があった。

 

現在、広島の原爆の爆心地は、相生橋の南西、島病院であると考えられている。当初の投下目標は相生橋であったが、風の影響により流されたとされている。この橋は広島市の中央を流れる太田川が分岐する地点にかけられたT字型の橋である。特異な形状は、上空からでもその特徴がよく判別できるため、目標に選ばれた。  

出典: フリー百科事典『Wikipedia

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本通に出て飲食店を探すが、イマイチ・・・。

やがて繁華街の中心地(だと思う)の紙屋町。平日とはいえ人が少ない〜閑散とした印象であった。

 

S氏「県庁に寄りましょうか」

くら「アポ取ってないよ」

S氏「食堂はアポいらないでしょう」

・・・ってことで広島県庁へ

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広島県庁の北館に入ろうとしたらドアには鍵がかけられ閉鎖〜小さな貼紙に「御用の方は正面にお回りください」

正面玄関に行こうとしたら、中からロックをはずしてガードマン登場

Gマン「どちらへ行かれます?」

くら   (食堂とも言えず)「いいえ、正面に回ります」

Gマン「行き先を言っていただければ、こちらからのほうが近いかもしれません。どちらへ?」

くら   「・・・いいえ結構です、正面に回りますから、アハハ〜」

 

広島県庁の正面玄関に回ろうとしたらお昼のチャイムが鳴り出した。

中から職員さんがゾロゾロ・・・みなさんについていく事に方針変更。

・・・職員さんたちは今まで歩いてきた繁華街方面に向かって歩いていく。

S氏「また戻っちゃいますね」

くら「むこうの角に中華料理屋? 行ってみましょう」

・・・ってことで入った店が「上海総本店」

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店内に入ったら床は油でベトベトな感じで、足を滑らせないように慎重に着席。豚骨スープの匂いがプンプンする。

ワンタンメン(750)と小ライス(120)を注文した。(S氏は中ライスだった)

 

ワンタンメンのお味は・・・麺は少し太めで食べごたえがある。トンコツ醤油ベースのこってり味のスープで、和歌山ラーメン・井出商店系に似たラーメンであった。

 

後から知ったけど、この店(上海総本店・女学院前)は知る人ぞ知る広島の名店であり、ワンタンメンが旨い!っていうラーメン屋だそうです。

・・・さすが、くらさん!

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早々に食べて、早々に勘定〜残された時間は1時間を切っている。せっかく広島に来たからには広島城を見に行かなければなるまい・・・駆け足!!!

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広島城は、広島県広島市中区基町にある城郭。鯉城(りじょう)ともいう。国の史跡。広島城全域が広島城址公園(ひろしまじょうしこうえん)となっており、復元された大天守は歴史博物館として利用されている。広島市中央公園と隣接している。

 出典: フリー百科事典『Wikipedia

城郭内には原爆に耐えたユーカリやヤナギの木があったが、先を急ぎ写真はパスしてきてしまった。

広島城は堀に囲まれており、堀には鯉がいるそうだ。それで広島城は「鯉城」ともよばれ、そこから野球チームは「広島カープ」なのだそうである。

慌しく城内を駆け巡り、一路「広島センター」に向かった。途中に一面に高い壁が続く「広島拘置所」もあったが駆け足で通過。

くら (地図を見ながら)「この縮景園って何だろう?」

S氏 「庭でしょう・・・」

くら 「ちょっと寄ってみようか」

S氏 「時間がないですよ」

くら 「通り道だし、走れば間に合うんじゃない」

S氏 「・・・」

   ・・・ってことで「名勝・縮景園」に寄り道(入園料:250円)

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縮景園

名称は中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによると言われる(造営当時の名称は「泉水屋敷」)。1620年、広島藩主となった浅野長晟が茶人であった家老の上田宗箇に作庭を命じ、以降徐々に拡張整備されたが1758年の大火で庭園はいったん灰燼に帰した。このため7代藩主浅野重晟は、京都から庭師清水七郎右衛門を呼び寄せ、跨虹橋の造営など新作に近い大改修を行った。この際頼春水らによって園内の名勝・建物34カ所に中国風の号が命名された。

 

明治時代以降は浅野家の別邸として利用され、「泉邸」と呼ばれるようになった。また大本営が一時広島に移転した際は明治天皇の宿泊所に

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充てられた。1913年からは一般にも開放され観覧できるようになり、1940年には浅野家から広島県に寄付され、国の名勝に指定された。194586日の原爆投下では壊滅的な打撃を受けたが、1951年に復元・開園し「縮景園」と改称され現在に至っている。また、跨虹橋は原爆の爆風にも耐えたほど強固として知られる。                     出典: フリー百科事典『Wikipedia

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縮景園をジョギング状態で一周して、今度こそは広島センターへ

 ・・・時間どおり入館して打ち合わせを開始した。(足が痛い・・・)

 

長時間に及ぶ白熱した打ち合わせを終了した後はセンターの皆さんと軽めの懇親会。

 K所長さんが行きつけの名店?「みっちゃん」・・・「よっちゃん」だったっけ???

 とにかく鉄板焼きと広島焼きの超名門店だそうである。(ホントかよ〜?)

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牡蠣の鉄板焼きが旨かった。バター焼きと塩焼き・・・両方とも旨かった!・・・がんちゃんにも食べさせてあげたかった。

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終盤は広島焼きでシメになった。

 勘定は割り勘で3千円、美味しかった。

 

広島センターのメンバーは少数ではあるものの、一丸となって日々頑張っている(きっとそうだと思う)、決して前途洋々な状況ではないが、互いに精進し業績発展に励んでいこう。

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広島駅到着〜列車の予約

くら 「xxxx発のn号車で予約しましょう」

S氏  「了解〜・・・あれ?・・・う〜ん・・・」

くら 「まだぁ〜?」

S氏 「携帯から何処に入ればいいの?」

くら 「・・・」 ぷっつん!

 

 結局、xx:xx発から3つ後の列車に乗って新大阪に向かったのであった。

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