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〜〜〜 くらさんのふらっと散歩 〜〜〜

No.004 中之島(田蓑橋〜大江橋)〜夕暮れの水都大阪 (2005.10)

 

中之島をはさんで北側を流れているのが堂島川、南側を流れているのが土佐堀川です。

堂島川の散策道は中之島の西端、船津橋から東端の難波橋まで整備されています。

土佐堀川では、筑前橋上流から中之島公園にかけて右岸側に散策道や親水テラスが整備されおり、オフィス街で働く人々のやすらぎの場として親しまれています。

今回は堂島川の田蓑橋から大江橋までの約1Kmを散歩しました。

 

田蓑橋は元禄時代、堂島開発によって架けられた橋の一つです。

田蓑橋が近代橋になったのは第1次都市計画事業によって架け替えられました。現在では見られませんが、優美な形のコンクリートアーチで、戦前の大阪の橋の中でも屈指の美しい橋であったそうです。この橋の設計にあたって、大正13年に行われた大江橋の意匠設計コンペの第3席の作品が参考にされたそうです。

ロマネスク風のデザインをもった名橋も地盤地下には勝てず、上部工が架け換えられました。

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ちょっと雑学

大江橋は元禄年間、堂島開発によって新しく架けられた堂島川五橋の一つです。五橋にはそれぞれ古来より大坂に伝わる由緒ある橋の名前や歌枕として有名な地名などから、その名前が取らました。

江戸時代中期以降、北詰の下流側には堂島米市場が開かれ、日本の米の価格が決まるほどの取引があったそうです。

 大江橋から大阪駅までがほぼ直線で結ばれるようになったのは明治35年に梅田新道が開通したときのことで、橋は明治43年、市電の開通に合わせて鉄橋となりました。

現在の大江橋は、大阪市第一次都市計画事業の御堂筋建設にともなって架け換えられたものです。大江橋と淀屋橋の設計に当たって、橋梁設計の分野では珍しいデザインの一般公募が行われました。一等入選作は大阪の大谷龍雄氏のデザインで、原案では橋脚の上に橋頭堡とでもいうべき、石造りの塔が画かれていましたが、実施設計ではこの塔に変わってバルコニーを設けるよう修正されているそうです。

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水都大阪の夕暮れはとっても綺麗でした。分刻みに変化していく光のグラデーションを写真に残そうとしましたが・・・記憶に残る残像でした。

 

暖かな夕暮れに、缶ビールを飲みながらブラブラ散歩するにはお勧めのポイントです。

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