No.049 東風が吹き、梅の花が匂うまち天神橋 〜時代を超える天神信仰〜 Map No.大阪あそ歩 OSAKA ASOBO 059 |
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■日本三大祭・天神祭と学問の神様で広く知られる大阪天満宮。天神橋筋商店街は、その参道として栄えた商店街で「日本一長い商店街」(南北に約2.6キロ)とも呼ばれています。近年は上方落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」も完成して、ますます活気づいていますが、菅公信仰の聖地として、1000年以上の歴史を誇る天満宮のまちを訪ね歩いてみましょう。
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■JR 「天満駅」からスタートです。 (ホントは大阪メトロ 谷町線「天神橋筋六丁目」から歩きました。) |
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@ 夫婦橋 ■旧天満堀川が天神橋筋と交差する所に架けられていた橋です。 堀川は豊臣時代の慶長3年(1598)に一部が開削され、天保9年(1838)に扇町から東北へと延伸されました。夫婦橋はこの堀川の延伸に伴って架けられたものですが、それ以前は「女夫池」という池があったといいます。 昔、この辺りに仲睦まじい若夫婦がいて、しかし訳あって夫は妻に「3年間待ってほしい」と言い残して他国へ出かけました。3年が経ても夫が帰って来ないので妻は悲しみのあまり池に身を投げ、その直後に夫が帰ってきて妻の不幸を知って後追いしました。これを哀れんで世人が「女夫池」と呼んだ…という伝承があります。
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A ガラス発祥の地 ■吹きガラスの製法はポルトガル人によって長崎に伝来しましたが、江戸時代に長崎の播磨屋久兵衛が天満宮界隈に伝えたのが大阪のガラス製造の始まりといわれています。 20数年前まで天満宮北側に位置する同心や与力町界隈にはガラス工場が林立して、とても活気のある町でした。天満名物の天満切子は、ガラス商社・カメイガラスで薩摩切子の復刻版を手がけていた宇良武一氏が、天満で蘇った切子の技術を絶やしたくないという熱い思いから、新しく天満切子と命名して製作しています。 |
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B 川端康成生誕地(料亭「相生楼」門前) ■『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』などで有名な文豪・川端康成(1899〜1972)は老舗料亭「相生楼」の南側で生まれました。3歳の時に医者であった父親が亡くなり、母の実家へ引越。後に母も亡くなり、祖父母と一緒に茨木市の叔父の下へ引っ越ししました。茨木中学から第一高等学校、東京大学(当時は東京帝国大学)国文学科を卒業して、昭和43年(1968)には日本人初のノーベル文学賞を受賞しました。 |
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C 西山宗因連歌所跡 ■西山宗因は江戸時代の俳人です。正保4年(1647) 大坂天満宮連歌所宗匠となり、明暦2年(1656) 天満宮の傍らに「向栄庵」(有芳庵ともいわれる)を開くなど、大坂を中心に活躍しました。延宝2年(1674)、『宗因千句』を出して「さればここに 談林の木あり 梅の花」と詠じて「談林派」を宣言。連歌・俳諧の革新を目指して、大坂の豪商たちの圧倒的支持を受け、一世を風靡しました。 |
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■平安時代の政治家・歌人・学者の菅原道真公は、延喜元年(901)に政敵・藤原時平の讒言で失脚。菅公は摂津中島の大将軍社に参詣してから大宰府に左遷させられて、2年後に59歳で生涯を閉じました。 その後、天暦3年(949)のある夜、大将軍社の前に突然、7本の松が生えて、夜毎に梢(こずえ)が金色の霊光を放ちました。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、菅公ゆかりの奇端として勅命で、同地に天満宮をご鎮座しました。 江戸時代の記録に残るだけで7度もの火災に遭い、享保9年(1724)の妙知焼けや、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱(大塩焼け)では全焼しました。しかし天保14年(1843)に、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在の本殿が再建されました。南門上の方位盤では、鶏のところが鳳凰になっています。
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■大阪天満宮内にあります。初詣のさいなどは、大勢の人が門をくぐりますが、登竜門というのは、中国の大河・黄河を上流に向かって登っていくと龍門に着き、高く険しい瀧や厳しい早瀬を飛び越えると、鯉が龍になる…という「登龍門の伝説」から来ています。 中国では、龍は王道を歩む王者の象徴で、人徳共に兼備した人のことを指しています。 |
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F 大将軍社 ■天満宮境内西北に鎮座している大将軍社は、大阪天満宮の数ある境内社のなかでも、際だって古い歴史を持ちます。 大化元年(645)に上町台地の 法円坂に「難波 長柄豊碕宮」が造営されて、鬼門にあたる四方に大将軍社がおかれましたが、大将軍社はそのうちの1つとされています。
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G 星合池(ほしあいのいけ) ■大阪 天満宮界隈は、その昔は、星に神秘的な力を付託して崇拝する「星辰信仰」が盛んな土地でした。実際に天満宮周辺には「星合池」「七夕池」「明星池」といった星辰信仰にちなむ池名が多く残っています。 また天満宮境内北側にある星合池にかかる星合橋のたもとには、古びた石の鳥居「宇賀社の石鳥居」がありますが、これが天満宮最古の鳥居とされています。また北側には川崎東照宮の蔵が移築されています。
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■大阪メトロ 谷町線「南森町」から帰りました。
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■天神橋筋商店街は平日の午前中ということで人通りも少なめでした。 但し、大声・横展開歩行の海外旅行者が目立っていました。 ★ 【今日のアクティビティデータ】 歩数:8,234歩 距離:6.3km 移動階数:2階
※この記事のマーカー「■」以降は、ガイドマップからの転載です。 |
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