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35 山口県

 

日本100名城

74. 岩国城

75. 萩城

続日本100名城

174. 大内氏館・高嶺城

Aランク(日本の100名城)

74. 岩国城 (山口県岩国市) 復興天守

岩国城は、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元の一族ではあるが、毛利氏存続のため徳川方と内通した吉川(きっかわ)広家が米子城から当地に3万石で封じられ築城した山城である。
麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。しかし、完成からわずか7年後の1615年に幕府の一国一城令により横山城が破却され廃城となった。廃城後は土居が岩国領の陣屋として明治維新まで存続した。
岩国領は本藩である長州藩より長期にわたって独立した支藩として認められず、陪臣として扱われた。独立の藩として認められたのは明治維新となる1968年で1871年には廃藩置県によって廃藩とされた。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%9B%BD%E5%9F%8E
写真のコメントはパンフレットを参照しています。

取材:文子

 


縄張図
曲輪が一列に並ぶ連郭式山城です。
本丸には天守だけが設けられており、本丸の周りを隅櫓、多聞櫓、渡櫓門、桝形虎口で囲んでいました。

説明文中の数字は右のマップの番号になります。

大手門のある出丸に残る石垣と土塀。

復興天守。(C)
1962年、麓から見ることができるよう本来の位置より約50m南側に建てられました。「伝岩国城断面図」を元に4重6階の南蛮造り(唐造)となっています。

麓から見た岩国城。
3代目領主吉川広嘉(きっかわ ひろよし)が1673年に架けた錦帯橋と組み合わせて見ることができます。

ズームすると石垣に囲まれていることがわかります。

旧天守台。(I)
天守が本来あった場所を発掘調査し、復元工事したものです。

城から見た城下町。

北ノ丸に残る石垣。(J)

北ノ丸跡。(J)

空堀。(K)
本丸と北ノ丸の間にあり、幅19.6m、深さ7.4m、長さ58.2mと大規模なものでした。
こういった中世の城の防衛機能も取り入れています。

大釣井。(F)
水ノ手郭にある水場です。

登り石垣。(H)
斜面に沿って石垣が積まれた跡が見えます。
同様の石垣は吉川広家の移封前の米子城でも見られます。

御土居(おどい)跡。
麓にあった領主の居館のあった場所で、現在は吉香(きっこう)神社が建っています。

江戸時代の絵図による御土居。

75. 萩城 (山口県萩市) 国の史跡  世界遺産

萩城は関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより、周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として1604年に築いた城である。
本丸の御殿は藩主居館と政庁を兼ねており、250年余りの間長州藩の拠点であったが1874年、前年に発布された廃城令により櫓など他の建物と共に破却され、現在は石垣や水堀のみが現存し指月(しづき)公園として整備されている。
また、2015年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の1つになっている。(世界遺産探訪参照)

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%9F%8E
写真のコメントはWikipedia及びパンフレットを参照しています。

取材:文子

 

萩城鳥瞰図。
この写真は出典さえ明記してあれば二次使用可ということで余湖くんのお城のページより拝借しました。

萩城は三角州に築城されたため、三方を海に囲まれています。日本海に張り出した指月山(しづきやま)山頂の詰丸と、その山麓に梯郭式に本丸・二の丸・三の丸を配し3重の堀を巡らした平山城でした。
なお、山頂の詰丸も本丸と二の丸で構成されており、山麓の城とは独立したものであるため、平山城ではなく平城と山城であるとする見解があります。

大手門である二の丸南門跡。
大きな桝形です。今は埋め立てられていますが手前には堀がありました。
銅像は毛利輝元公です。

二の丸と本丸の間には内堀があり、本丸側は石垣で囲まれています。
一番左の石垣が天守台。そして後の山が指月山です。

本丸門跡。
ここも大きな桝形になっています。

雁木。
石垣に昇り降りするための階段で、萩城の雁木は全国の城でも最大規模です。

天守台。
扇の勾配と呼ばれる美しい反りです。
萩城の天守は5重5階の複合式望楼型でした。
残念ながら廃城令により破却されてしまいました。
↓明治初期、解体前の写真。

 

天守台の礎石。

天守台から見る内堀。
本丸門方面。

 
指月山方面。

本丸御殿跡。
現在は長州藩歴代藩主を祀る志都岐山(しづきやま)神社になっています。

東園跡。
二の丸にある、6代藩主宗広のときに造った回遊式庭園です。

日本海と菊ヶ浜。

潮入門跡。
ここから直接、菊ヶ浜に出ることができました。

二の丸土塀。
菊ヶ浜側から見ています。
四角い銃眼(鉄砲狭間)のある土塀で、1965年に復元したものです。

 

Bランク(続日本の100名城)

174. 大内氏館・高嶺城 (山口県山口市) 国の史跡

 

 

 

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