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40 福岡県

Aランク(日本の100名城)

85. 福岡城 (福岡県福岡市) 重要文化財・国の史跡

福岡城は、関ヶ原の戦いで功績のあった黒田長政が筑前国を与えられ、豊前国中津(大分県中津)から移り築城し、明治になるまで黒田家が居城した。
梯郭式平山城で、天守台はあるが天守が存在したという事実は確認されていない。
二の丸にある多聞櫓は江戸末期に福岡城に存在した櫓の中で唯一、当時の遺構が移築を受けず同じ位置に残され、国の重要文化財に指定されている。
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。第二次世界大戦後は平和台球場や平和台陸上競技場など多くの公共施設が建設されたが、平成以降、城跡として整備が進められた。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%9F%8E

取材:文子

 


上之橋御門跡。
藩主が参勤交代のときなどに通過する上之橋にあった門の跡。

東御門跡。
二の丸に入るための主要な門の跡。

天守台。
大・中・小の3つからなる連立式の天守台で、1646年に作成された福岡城を描いた最古の絵図には天守は描かれていないため、幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされている。
しかし、近年になって、当時豊前国小倉藩主であった細川忠興の1620年の手紙に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」とあることから、天守があった可能性が示されている。

福岡の街がよく見えます。

多聞櫓。(国の重要文化財)
江戸時代から残っている唯一の櫓で、1854年に大改修を受けています。

平櫓の内部は、一般に突き抜けの状態となっていることが多いのですが、本櫓では16の小部屋に別れていて、平時は倉庫等に利用されていたとされています。

(伝)潮見櫓。
大正時代に旧黒田家別邸に移築された櫓が潮見櫓として伝わり、その後、城内の下之橋御門横に再移築されました。
近年の調査で別の建物が潮見櫓であることが明らかになったため、(伝)を付けて呼ばれるようになりました。

下之橋御門。
城の西側にあり、城内に入るための日常の門として使用されました。
江戸末期から存在する門でしたが、2000年8月に不審火で半焼し、2008年11月に復元されました。復元時、明治期に一層に改修された門を、本来の二層櫓門へ戻したそうです。

(伝)潮見櫓と下之橋御門。

86. 大野城 (福岡県大野城市) 国の特別史跡

 

 

 

Bランク(続日本の100名城)

181. 小倉城 (福岡県北九州市) 復興天守

 

 

182. 水城 (福岡県大野城市) 国の特別史跡

 

 

183. 久留米城 (福岡県久留米市) 県の史跡

 

 

 

Cランク