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39 高知県

Aランク(日本の100名城)

84. 高知城 (高知県高知市) 重要文化財・国の史跡・現存天守

高知城は、別名鷹城(たかじょう)とも言い、高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川がそれぞれ外堀として利用されていた。
1587年、長宗我部元親は豊臣秀吉の九州征伐従軍から帰国後、大高坂山に城を築いたが、水はけが悪かったため元親は3年で大高坂山城を捨て、桂浜に近い浦戸の浦戸城を改城し居城とした。
1601年、関ヶ原の戦いにおいて元親の子・盛親は西軍に与して改易された。代わって、山内一豊が掛川城から転入し、土佐国一国24万2千石を与えられ浦戸城に入った。浦戸は城下町を開くには狭いため、一豊は長宗我部氏が一旦築城を断念した大高坂山の地に新城を築くこととした。
1603年本丸と二ノ丸が完成し、一豊は入城した。その後1611年、難関であった三ノ丸が竣工し、高知城の縄張りが全て完成した。
1727年、高知城下は大火にみまわれ、城は追手門以外のほとんどが焼失した。現在見られる建造物の大半は、こののちに再建されたものである。
江戸時代に建造された天守や本丸御殿(天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみである)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E5%9F%8E

取材:文子

 


天守と横から見た追手門。
高知城は大手門を今でも追手門と読んでいるそうです。

天守と追手門の構図はこちらがよく見ます。
追手門は1664年に再建されています。(国の重要文化財)

石樋。
水はけが悪かった高知城では、城内に多くの水路が設けられ、石垣から飛び出した石樋で排水していました。

詰門。(国の重要文化財)
手前からやってきた敵は真正面に見える詰門に向かいます。そうすると三方から矢と鉄砲で攻撃される仕組みです。

階段を登らず右手に行くと三の丸、二の丸、そして本丸に繋がっています。

天守。(国の重要文化財)
1727年に焼失後1746年から本丸の再建に着手し、天守は1749年に完成しています。
望楼型天守で、外観は4重、内部は3重6階建てです。

天守と本丸御殿。(国の重要文化財)

現存天守12城のうち国宝は5城のみです。2015年最後に松江城が国宝となった決め手は、懸賞金500万円をかけて探した天守の完成年が書かれた木札だったそうです。
そのため、高知城でも同じ懸賞金500万円をかけ棟札を探しているとのことです。

本丸御殿内。

天守内から見た詰門。
詰門は二の丸と本丸をつなぐ役目も果たしています。2階は家老などの詰所として用いられたそうです。

下の写真も含め本丸内の建物もすべて江戸時代のもので、国の重要文化財に指定されています。

しゃちほこ。

黒鉄門。

防御のための鉄剣。

野面積の石垣。

こちらは、打込ハギの石垣。
石垣の積み方についてはこちらを参照。

 

Bランク(続日本の100名城)

180. 岡豊城 (高知県南国市) 国の史跡

 

 

 

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