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37 香川県

 

日本100名城

77. 高松城

78. 丸亀城

続日本100名城

177. 引田城

Aランク(日本の100名城)

77. 高松城 (香川県高松市) 重要文化財・国の史跡・三大水城

高松城は讃岐国にあった平城で、別名・玉藻城(たまもじょう)と呼ばれる。
城郭の形式は輪郭式で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされていた。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外堀・中堀・内堀のすべてに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城である。
豊臣秀吉の四国制圧の後、讃岐1国を与えられた生駒親正によって築かれ1590年に完成した。
1640年生駒騒動といわれるお家騒動により生駒氏は領地を没収され、1642年水戸徳川家出身の松平頼重(徳川光圀の兄)が入城し、松平氏が明治まで統治した。
現在見られる遺構は松平氏が整備したもので、1669年には小倉城を模した3重5階の天守が完成したが、明治に入り1884年老朽化のため破却された。
現在では海側に新しい道路が通り、ほとんどの建物が取り壊され、内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられている。しかし現在でも外堀と内堀には海水が引き込まれており、往時の名残を残している。

(Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%9F%8E_(%E8%AE%83%E5%B2%90%E5%9B%BD)

取材:文子

 


城址は現在は玉藻公園として高松市の所有する公園となっています。

鞘橋(さやばし)。
本丸と二の丸をつなぐ橋で、「鞘橋」の名称は、橋上が露天ではなく屋根と側壁がある廊下橋の構造をしており、それを刀の鞘に見立てたことによるそうです。
築城当初には屋根や側壁はなく、江戸時代中頃に屋根付きの橋になったと考えられています。

天守台。
3重5階の天守は高知城天守や松山城の天守を凌ぎ四国最大の規模であったそうですが、1884年老朽化のため解体されました。
天守台は2005年から2013年にかけて解体修復工事が行われています。

水門。
堀と海がつながっているので、潮の干潮による水位調節のため水門が設けられています。

天守台から見た鞘橋。

桜御門。
三の丸入口の門で、高松大空襲で消失したものを発掘調査し、2019年から復元工事し今年(2022年)夏に工事が完了しました。

披雲閣。(国の重要文化財)
三の丸には披雲閣と呼ばれる現在の2倍の規模の御殿がありましたが、1872年に老朽化により取り壊されました。現在の披雲閣は、1917年松平家高松別邸として建設されました。
現在は貸会場として市民に利用されています。

月見櫓(着見櫓)、渡櫓、水手御門。(いずれも国の重要文化財)
現存の建築物です。
防衛上のため造られ、月見櫓から出入りする船を監視しました。
水手御門は正式な出入り口で、藩主はこの門から小舟に乗り、沖に止まった大船に向かったそうです。
藩主が江戸から船で帰るのをこの櫓から見たので「着見櫓」も呼ばれています。

78. 丸亀城 (香川県丸亀市) 重要文化財・国の史跡・現存天守

丸亀城は標高約66mの亀山に築かれた 渦郭式(かかくしき)平山城で、別名亀山城と呼ばれている。「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名である。
讃岐17万石を与えられた生駒親正が高松城を本城とし、支城として1597年に丸亀城を築いたが、徳川幕府の一国一城令で丸亀城は廃城となった。
しかし、1641年生駒家がお家騒動により断絶し、讃岐が分割されて丸亀藩ができ山崎家治が領主となり、1643年に丸亀城を再築した。
1658年山崎家は無嗣断絶し、京極高和が6万石の丸亀藩主となり、1660年に丸亀城天守が完成した。

(丸亀城HPより転載)  https://www.city.marugame.lg.jp/site/castle/
(Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E4%BA%80%E5%9F%8E

取材:文子

 


大手門から見る天守。
大手門も1670年ごろに建築された現存で、天守とともに国の重要文化財に指定されています。

天守正面。
3重3階の層塔型天守。
江戸時代以前に建てられた天守が現存する12城のうちの一つで、弘前城についで低い天守です。

瀬戸大橋が見えます。

美しい石垣。
石垣は山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一です。
なお、単体としては20数メートルで、単体として日本一高い石垣は大坂城(33m)で、次に伊賀上野城(約30m)です。

昨年(2018年)の10月に豪雨で崩落したとのことで、修理しています。

グラウンドに並ぶ石。番号が書いてあって、元あった位置に並べるようです。相当の年月がかかるだろうなぁ〜と思ったら、HPには5年での復旧を目指しているとありました。

 

Bランク(続日本の100名城)

177. 引田城 (香川県東かがわ市) 国の史跡

 

 

 

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