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32 島根県

 

日本100名城

64. 松江城

65. 月山富田城

66. 津和野城

続日本100名城

170. 浜田城

Aランク(日本の100名城)

64. 松江城 (島根県松江市) 国宝・国の史跡・現存天守・三大湖城

松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にある平山城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。
江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となったが、明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となったため、天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去された。城跡は現在、松江城山公園として利用され、また、江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、天守は山陰地方の現存例としては唯一である。天守からは宍道湖を眺望できる。天守内部には松江市街のミニチュア模型が展示されている。 現在、指定管理者制度に則り、特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。

 (Wikipediaより転載) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%9F%8E

取材:大倉(文子による攻城記へ

 

取材:文子

堀尾忠氏が関ヶ原の戦功により浜松より出雲隠岐24万石に加増移封され、月山富田城に入城するも、統治の勝手が悪く移転を計画し、1607年松江の地の湖畔に築城工事を開始して1611年完成した。
1633年堀尾忠晴没、嗣子なく堀尾氏は3代で改易となった。若狭小浜藩から京極忠高が移封されるも嗣子なく改易となり、1638年信濃松本藩から松平直政(家康の次男・結城秀康の三男)が移封され、以後明治維新まで続いた。

 (Wikipedia及び松江城ホームページより転載) https://www.matsue-castle.jp/
写真のコメントはWikipedia及び松江城ホームページや城跡内の案内板の説明を参照しています。

現在の松江城跡図。
〜松江城ホームページより〜

輪郭連郭複合式の平山城で、本丸を中心に据え、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南には出城のように独立した三の丸が配されています。
城の中心となる御殿は二の丸上段に置かれていたが、敷地が狭いため三の丸にも御殿が建てられ藩主は主にこちらで生活していたようです。

天守。
4重5階、地下1階の附櫓のある複合式望楼型で、現存天守では三番目の高さです。現存天守で一番大きな鯱がのっており、二重目の上に入母屋破風があり、花頭窓もつけられています。

大手門跡。
大手門は現存していないが、かつては2階建ての櫓門式で全国最大級の大きさだったと言われています。

二の丸下段。
藩の米を蓄える米蔵が置かれていました。

二の丸上段。
藩主が儀式や政務をつかさどる「御廣間」や私的な接客を行った「御書院」等の御殿が並んでいました。
周囲には時間を知らせる太鼓を置いた「太鼓櫓」や城下の監視や倉庫に使われた「南櫓」「中櫓」など5つの櫓がありました。
2001年に南櫓・中櫓・太鼓櫓が復元されています。

内堀外から見た南櫓(左)と中櫓。

馬溜(うまだまり)。
ここが松江城で一番高い石垣です。
右に見えるのは太鼓櫓。

水の手門跡。
北の丸から本丸へ上がる門です。

北の丸から見た天守。
野面積みの石垣が素敵。

馬洗池。
北の丸にある、築城時から残る馬を洗うための池です。

北惣門橋。
二の丸下段に続く橋で、内堀の東側にあった家老屋敷と城内を結ぶ重要な橋でした。
1994年に復元されました。

三の丸。
現在は島根県庁があります。

65. 月山富田城 (島根県安来市) 国の史跡・日本五大山城

月山富田城(がっさんとだじょう)は、出雲源氏・富田氏の居城だった山城で、京極氏に支配権を奪われてからは、その守護代・尼子氏が在城し、以降、尼子義久までの百数十年間、尼子氏の居城であった。
尼子氏は主家・京極氏を追放して戦国大名となりこの城を本拠とし、以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い、尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げた。その孫・尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となり、月山富田城は天然の地形を利用した難攻不落の城といわれた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが、最終的に1566年尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった。
1600年以降、堀尾氏が城主となるが、1611年に堀尾忠晴が松江城へ移ると月山富田城も廃城となった。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%B1%B1%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%9F%8E
写真のコメントはパンフレットや安来市観光ガイドを参照しています。

取材:文子

 

月山富田城ジオラマ。
月山富田城は標高約190メートルの月山山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城です。菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても主山の月山に登って防ぎ、頂上には堀を築き守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています。

千畳平(せんじょうひら)。
最も城下に面している曲輪で、兵士が勢ぞろいした場所と言われています。

馬乗馬場(うまのりばば)。
馬の調練所であったと伝えられています。

太鼓壇(たいこのだん)。
当時、時を知らせる太鼓櫓があった場所と伝わり、現在は尼子家再興のために尽力した山中鹿介の像が建っています。

花ノ壇。
掘立柱建物等の施設跡が発見され、一部が復元・整備されています。

山中御殿平(さんちゅうごてんひら)。
月山山腹にある城主の居館があったとみられる場所で、周囲を石垣に囲まれていました。
本丸を目指す3方面からの登城口が合流する場所で、菅谷口と塩谷口には虎口を確認することができます。御子守口には大手門があったと思われますが、現在は確認することができません。

菅谷口門跡。

七曲りへの階段。

七曲り。
山中御殿から山頂への大変険しい軍用道で、七曲り以外に主郭部への道はありません。

現在は整備されて歩きやすくなっていますが、登城当日は夏日で日差しも強かったので、辛くて登るのをやめようかと頭によぎりました。

三の丸。
月山山頂部へ到着。
段築石垣が築かれており、毛利家家臣の吉川時代のものだそうです。

二の丸。

本丸。

月山山頂部からの眺め。
眼下には広瀬町の町並み、さらに中海、島根半島、そして日本海が見えます。

大土塁。
山中御殿平の西側にある巨大な土塁は高さ約7メートル、長さ約130メートルあり、山中御殿を守る役割だったと思われます。

66. 津和野城 (島根県津和野町) 国の史跡

津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの霊亀山(れいぎざん)に築かれた山城である。築城時から戦国時代までは三本松城と呼ばれていた。
鎌倉時代に西石見地方の地頭として赴任した吉見氏が築城し、戦国時代は当初は大内氏に属していたが、その後毛利氏傘下に入って引き続き津和野城を居城とした。しかし、関ヶ原の戦いにおいて毛利輝元を総大将とする西軍が敗れ、毛利氏が防長2か国に押し込められると、吉見氏も津和野を退去して萩に移住した。
代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修を行った。大手の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や天守を築いた。
坂崎氏が千姫事件で自害し改易されると、1617年因幡国鹿野藩(鳥取県鳥取市鹿野町)より亀井政矩(まさのり)が4万3千石で入城し、以後明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となった。亀井氏により山麓に居館(津和野藩邸)や外堀が設けられて、城下町が整備された。
1871年全国の各藩に先駆けて廃藩となり廃城となった。山上の城は津和野の商人に払い下げられ1874年に解体された。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%92%8C%E9%87%8E%E5%9F%8E
写真のコメントはWikipedia及びパンフレットを参照しています。

取材:文子

 

津和野城マップ。 〜パンフレットより〜
連郭式の近世では数少ない山城です。

出丸。
坂崎氏時代に増築された曲輪で、家老の浮田織部が普請奉行を務めたことから「織部丸」と呼ばれています。
本丸の北面の防備を固めました。

二重櫓跡。
北東隅にあった二重櫓は出丸の形状に合わせ鈍角に屈曲していました。

 

山麓の城下町。
今日は雨で山の中腹に霧がかかっています。条件がいいと、朝霧が出て麓から見ると「天空の城」状態になるそうです。
↓パンフレットより

三段櫓跡の石垣が見えてきました。
坂崎氏の改修以降に大手門となった東門のある場所です。

台所櫓跡・海老櫓跡。
三の丸の西側に突き出たところに台所櫓があり、その先端を海老櫓といいます。
城の搦手側の監視、防備をするためのものでした。

西門跡。
搦手側に降りる門です。

天守台。
1686年に焼失しましたがここに3重の天守が建っていました。しかし、この場所は二の丸で城の最高所ではありません。
何故ここに建てたかはわかっていません。

天守台から見た台所櫓跡・海老櫓跡。

太鼓丸。
二の丸になります。

三十間台。
本丸で城の最高所(比高200m)になります。

三の丸から見る人質櫓台と本丸の石垣。
高さ約10mあります。

 

Bランク(続日本の100名城)

170. 浜田城 (島根県浜田市) 県の史跡

 

 

 

Cランク