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11 埼玉県

 

日本100名城

18. 鉢形城

19. 川越城

続日本100名城

118. 忍城

119. 杉山城

120. 菅谷館

Aランク(日本の100名城)

18. 鉢形城 (埼玉県寄居町) 国の史跡

鉢形(はちがた)城は武蔵国鉢形にあった、戦国時代の連郭式平山城である。
1476年関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春が初めて築城したと伝えられている。
その後、小田原の北条氏康の四男・氏邦によって整備拡張され現在の大きさとなり、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線として重要な役割を担っていた。
1590年豊臣秀吉による小田原征伐がはじまり、鉢形城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら北国勢と、浅野長政や本多忠勝・鳥居元忠らの徳川軍の援軍の総勢3万5千人に包囲され、3千人が約1か月の籠城戦を戦ったのち、開城した。その後、徳川家康の関東入封にともない、成瀬正一、日下部定好が代官となってこの地を統治した。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%A2%E5%BD%A2%E5%9F%8E#
写真のコメントはWikipediaや城址内の案内板及び寄居町ホームページの説明を参照しています。

取材:文子

 


曲輪配置図。広大な敷地です。

外曲輪。
本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と深沢川を挟んで対岸にある曲輪です。川の反対側は長い土塁で守っています。

深沢川。

荒川。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。

二の曲輪。

二の曲輪と三の曲輪(奥)の間にある堀。

二の曲輪(右)と三の曲輪(左)の間の堀と土塁。

堀と角馬出(右)。
角馬出はその名の通り四角い形の馬出で、後北条氏系城郭の特徴といわれています。

二の曲輪南側の馬出。

三の曲輪。

虎口。
上の写真の左奥の部分が出入口で、発掘調査の結果、石積み土塁や門跡が見つかりました。

復元四脚門。
発掘調査で見つかった礎石と石階段から四脚門と想定し復元しています。

復元石積土塁。
土塁の表面に川原石を階段状に積み上げています。裏込め石は使用されておらず、西国の石垣とは技術的な違いが認められるため、石積と呼んでいるそうです。

本曲輪。

本曲輪から見た荒川。

19. 川越城 (埼玉県川越市) 県の史跡

川越城は武蔵国入間郡にあった比高5〜6mの平山城で、1457年に扇谷上杉氏の命により太田道真、太田道灌父子によって築かれた。
江戸時代には川越藩の藩庁が置かれ城主が変遷するが、大老・老中など幕政の重職についた有力譜代大名や、親藩の前橋松平家などが入封した。幕府の老中職に就いた大名の数では徳川諸藩中、佐倉藩に次いで最多である。川越は江戸の北の守りとして発展し、「小江戸」と称される程であった。
天守はなく、城の中で一番高い所にあった3重の富士見櫓が天守の代わりをしていた。
1848年に建てられた本丸御殿の一部が残っており、本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存していない。

(Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E5%9F%8E

取材:文子

 


江戸時代に入ってから大拡張された城郭。
現在、城址の大部分は市街地となっており、本丸御殿のあった一部だけが城址として整備されています。

本丸御殿。(県指定有形文化財)
城主の住居は当初は二の丸にありましたが1846年に消失し、1848年に本丸に再建した建物が今残っているものです。
国の文化財じゃないんですね。

当時は16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっています。

〜画像はパンフレットより〜

玄関。

大広間。

御殿廊下。

家老詰所。
解体後ふじみ野市の民家に移築されていたのを再度移築したものであり、位置は以前とは異なっているそうです。

家老詰所内部。

富士見櫓跡。
後の小高い丘が城内で最も高い位置にあたり、ここに3重の富士見櫓があったそうです。

中ノ門。
復元しちょっとした公園になっています。

中ノ門堀跡。
西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むために巧みに配された堀のひとつだそうです。

三芳野神社。
本丸御殿に隣接するこの神社は、川越城築城以前から当地にあったものを築城時に城内に移しました。

城内にあることから一般の参詣ができなくなったため、時間を区切って参詣することが認められました。
本丸の南の方から細い道を通って入って参詣しますが、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられました。

そのため「行きはよいよい、帰りは怖い……」と歌われる童謡「とおりゃんせ」の舞台と言われています。


社殿。
現存する社殿は、1624年3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもので、1656年には4代将軍徳川家綱の命を受け大改造が行われました。

 

Bランク(続日本の100名城)

118. 忍城 (埼玉県行田市) 県の史跡・復興天守

 

 

119. 杉山城 (埼玉県嵐山町) 国の史跡

 

 

120. 菅谷館 (埼玉県嵐山町) 国の史跡

 

 

 

Cランク