▲ページトップ

08 茨城県

Aランク(日本の100名城)

14. 水戸城 (茨城県水戸市)国の特別史跡

水戸城は、常陸国茨城郡にあった城で、江戸時代には、徳川御三家の一つ水戸徳川家の居城であった。
城の歴史は平安時代まで遡り、当初は馬場氏の居館が現在の本丸付近にあったと考えられている。その後、馬場氏を追いやった江戸氏が水戸城を居城とした。1590年、小田原征伐参陣の功により常陸国を安堵された佐竹氏は水戸城を強襲し、江戸氏は滅亡した。佐竹氏は本拠を太田城から水戸城に移し、水戸城は常陸国主・佐竹氏の居城となる。佐竹氏時代に、三の丸、二の丸、本丸、下の丸が連なる、現在の縄張りの基礎ができたと考えられている。佐竹氏は関ヶ原の戦いで中立を守ったことで秋田に転封となり、徳川家の城として水戸城には家康の5男・武田信吉が封じらた。しかし信吉は翌年嗣子なく急死したことから、家康の10男・徳川頼宣が封じられ、頼宣が駿河へ転封後は11男・頼房が藩主となり、以後水戸徳川家の居城として明治を迎える。
水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城で、北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波(せんば)湖を天然の堀としていた。台地東端の下の丸(東二の丸)、から西に向かって本丸、二の丸、三の丸が配され、それぞれが空堀で仕切られていた。城郭は主に土塁と空堀で構成された戦国期の東国の典型的な城である。
水戸徳川家は参勤交代を行わない江戸定府大名(じょうふだいみょう)であったため、水戸城が藩主の居城として使われることは少なく、城内の建築物は質素であった。
天守は建造されず、3重5階建ての御三階櫓があった。御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、以後再建されていない。三の丸付近が城址として整備されており、土塁・空堀が現存している。また、三の丸には水戸藩藩校であった弘道館(国の重要文化財、特別史跡)が現存している。

 (Wikipediaより転載)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%9F%8E

取材:文子

 

二の丸と三の丸の堀にかかる大手橋。現在、堀は道路になっています。

二の丸側から。突きあたりは、弘道館です。

二の丸跡にある水戸市立第二中学校

三の丸にある藩校・弘道館

三の丸跡にある水戸市立三の丸小学校

 

Bランク(続日本の100名城)

112. 笠間城 (茨城県笠間市) 市の史跡

 

 

113. 土浦城 (茨城県土浦市) 県の史跡

 

 

 

Cランク