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06 山形県

 

日本100名城

10. 山形城

続日本100名城

108. 鶴ヶ岡城

109. 米沢城

Aランク(日本の100名城)

10. 山形城 (山形県山形市) 国の史跡

山形城は、出羽国村山郡にあった城で別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれた。本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配置された輪郭式平城である。
1356年に羽州探題として山形に入った斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、第11代城主最上義光(1546〜1614)が城郭を拡大し三の丸を構築、城下町を整備し、出羽57万石の本城とした。
1622年に最上氏が改易された後、次の城主の鳥居忠政により改修がなされた。三の丸の内側の面積は235ha(姫路城が233ha)もあり、日本国内では5番目の広さで奥羽地方では最大の城であった。しかし江戸時代初期の最上氏時代に57万石あった石高も度重なる藩主交代に伴って削減され、山形藩にとっては維持することすら困難な状態になった。幕末期の水野氏5万石時代には御殿は二の丸に置かれ、本丸は更地で、三の丸の西半分は田畑になっていた。
現在は、武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しているが、本丸、二の丸跡が霞城公園として残されている。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E5%9F%8E

取材:文子

 


二ノ丸東大手門(復原)。

霞城公園は桜の名所です。

桝形になっている二ノ丸東大手門。

本丸一文字門(復原)。

本丸一文字門大手橋。

本丸跡。
現在発掘調査中です。本丸には御殿のみで天守は造られなかったが、二ノ丸に代用の御三階櫓が建てられていたそうです。

本丸御殿のCGによる復原が山形城ホームページにあります。

本丸の石垣と空堀。

 

Bランク(続日本の100名城)

108. 鶴ヶ岡城 (山形県鶴岡市) 国の史跡(藩校)

 

 

109. 米沢城 (山形県米沢市)

戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。
本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式平城である。上杉氏による築城(大改修)当時は30万石の大名の居城であって、石垣は少なく、土塁を多用し、天守は構えられず、本丸に東北隅と西北隅に2基の三階櫓を建てて天守の代用(御三階)としていた。
現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、また、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)がある。

 (Wikipediaより転載) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%B2%A2%E5%9F%8E

取材:文子

 


お堀。


上杉神社。
上杉謙信を祀っています。

お堀の向こうに見えるのが、二の丸跡に建つ旧・上杉伯爵邸。

 

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