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04 宮城県

 

日本100名城

7. 多賀城

8. 仙台城

続日本100名城

105. 白石城

Aランク(日本の100名城)

7. 多賀城 (宮城県多賀城市) 国の特別史跡・日本三大史跡

多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵である。
城柵とは7世紀から11世紀までの古代日本において大和朝廷が、本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設である。
奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。
遺跡は国の特別史跡に指定され、奈良の平城宮跡、九州の大宰府跡とともに日本三大史跡に数えられている。

 (Wikipediaより転載)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%9F%8E

取材:文子

 

南門跡

政庁跡

復元模型

2024年に多賀城創建1300年を迎えることから、その記念事業として「南門」復元工事が行われていました。

8. 仙台城 (宮城県仙台市) 国の史跡

仙台城は、陸奥国宮城郡の青葉山にあった平山城で、別名青葉城と呼ばれる。
関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であった。なお、天守台はあるが天守は持たなかった。
地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく城としての役割を終えて、明治維新を迎えた。その後は明治から大正にかけて陸軍用地となり多くの建築物が解体された。数少ない遺構であった大手門、脇櫓は国宝に指定されていたが、仙台空襲により焼失した。
仙台城跡の土地の権利関係は複雑であり、仙台城跡のうち仙台市が所有している区画(青葉山公園)はごく一部である。戦前の経緯から宮城県護国神社や東北大学が所有している区画が多く、現在でも本丸と二の丸の中に境界が存在している。
「青葉城」という雅称を持ち、宮城県護国神社は当地を「青葉城」または「青葉城址」と呼称している。一方、青葉山公園として当地を管理している仙台市は「仙台城跡」と呼称しており、国の史跡も「仙台城跡」として登録されている。

 (Wikipediaより転載)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9F%8E

取材:文子

 

仙台城は青葉山に築かれ、本丸は東は広瀬川に落ちる64mの断崖、南は80mの深さの竜ノ口狭谷が固める天然の要害にありました。

本丸跡。

本丸石垣。

仙台城唯一の復元物の大手門脇櫓。

戦前の大手門と脇櫓の写真。

大手門北の石垣。

三の丸の内堀。

 

Bランク(続日本の100名城)

105. 白石城 (宮城県白石市) 市の史跡・木造復元天守

 

 

 

Cランク